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仙台高等裁判所 昭和62年(ネ)268号 判決

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、七九四万七〇〇〇円及びこれに対する昭和三九年三月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

この判決は控訴人勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一申立

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、四〇〇〇万円及びこれに対する昭和三九年三月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行宣言を求めた。

被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次の補正をなし、当審における主張を付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用し、関係者の呼称や略称は、理由欄を通じて原判決の用例を踏襲する。但し「原告リフト」が「控訴人リフト」となるのは当然である。

一  原判決の補正

1  原判決三枚目裏一三行目の「見込額」を「見込書」と、同一四枚目表三行目の「のが」を「のは」と、同丁裏一二行目の「理由を言っている」を「口実を述べたにすぎない」とそれぞれ改める。

2  同一九枚目裏三行目の「仙台」の前に「白石営林署から控訴人に対する立入禁止仮処分申請の依頼を受けた」を挿入する。

3  同五〇枚目表一三行目の「導標」を「道標」と、同五五枚目裏一三行目の「八万一〇〇〇円」を「八万六〇〇円」と、同五六枚目裏二行目の「基ずき」を「基づき」とそれぞれ改め、同五九枚目表六行目の「ハイヤー代」の次に「金一六万六三二〇円」を加える。

4  同五九枚目裏八行目の「ブル」を「ブルドーザー」と、同六〇枚目表七行目の「四四八六万〇六八一円」を「四五〇二方〇六八一円」と、同七五枚目表六行目の「a′↓D」を「d′↓D」と、同一二二枚目裏九行目から一〇行目の「それぞえ」を「それぞれ」と、同一二六枚目裏一三行目の「いるが。」を「いるが、」とそれぞれ改める。

5  同一二九枚目裏一二行目から同一三〇枚目表二行目までを「また、国有林野の貸付契約締結以前に、控訴人において国有林内に無断で看板を設置し、かつ工事を強行したため、山形営林署が撤去及び工事中止を求めたことは、国有財産の管理行為として国家賠償法の対象となることは認めるが、右行為は違法でなく、故意・過失もないから、責任を負わない。」と改める。

二  当審における控訴人の主張

控訴人は本件において、第一次的にはA1署長らの一連の行為が故意による包括的な不法行為であることを理由に、第二次的には(当審における主張追加部分)、県境の移動行為が右一連の行為とは別個独立の不法行為であることに基づいて、主位的に故意、予備的に過失による誤った行政上の措置であることを主張し、これに伴い包括的損害のうち県境の移動に因る損害分を特定して請求するものである。

なお、以下において「A1署長らの共謀」というときの共謀の内容は、特に断らない限り、山交リフトの建設促進を支援しこれに協力する意図の下に、控訴人リフトの建設を故意に妨害目的で営林局・署の部内において或いは山形県の理事者・担当者との間になされたものを指す。

1  控訴人リフトの建設には、その路線位置が山形営林署蔵王国有林経堂三九林班にあるため、原判決三枚目表七行から同丁裏九行までに記載のある「1」新潟陸運局長の甲種特殊索道事業免許、「2」山形営林署長との国有林野貸付契約、「3」山形県知事に対する県立自然公園内工作物新築届の外に、「4」として水源かん養保安林の指定解除、すなわち控訴人リフト路線位置が森林法の水源かん養保安林に指定されているので、その指定解除が必要であるが、これは「2」の契約の際、山形営林署長が秋田営林局長を通じ、解除権限を有する農林水産大臣に対し、指定解除の上申により行われる。もっとも、当時の山形営林署の慣行では、入林許可によってリフト貸付敷地が特定され、貸付見込書の交付によって貸付の実行が確実となった時以降は土地使用を認めていたから、右「4」の保安林指定解除の手続と期間は、事実上必要とされていなかった。本件においては、A1署長らの故意による妨害により右「2」の国有林野貸付契約の手続が遅れたため、国有林野貸付見込書の提出が要求されている「1」の甲種特殊索道事業免許の手続も遅れるとともに、「4」の保安林指定解除の手続も遅れた。さらにA1署長らが山形県知事らと共謀して「3」の県立自然公園内工作物新築届の手続を故意に遅らせた。

2  故意による包括的な不法行為

A1署長は国有財産法一八条、国有林野法七条により山形営林署管内の行政財産である国有林野の貸付について権限を付与されているが、これは国民から付託された権限であるから、恣意的な行使は許されず、国民に対し公正・平等な取扱をすべきであるのはいうまでもない。

最終的に貸付に至ったことからも明白なように、控訴人のリフト計画には何らの問題がなく、貸付を拒否すべき障害事由は存在しなかった。

ところが、A1署長はA2局長、A3白石営林署長、B1知事及びB2副知事と共謀の上、右権限を濫用し、控訴人に対し次の不法行為をした。

(一) 貸付見込書交付までの不法行為

控訴人が貸付を申請した昭和三八年一月一〇日から貸付見込書の交付を受けた同年五月二三日までの間、A1署長らは、控訴人提出の貸付申請書の受理を「山形県の道路方式による開発構想」等の口実を設けて拒否し、控訴人のリフト計画を断念させようとした。すなわち、控訴人リフトと山交リフトの建設予定地は、本件県境に接する近接した同一地域で、殊に山形・宮城両県が申請中の蔵王国定公園の特別景観保護地区に予定していた区域であるから、行政としての同一対応つまり両県とも一致してリフト建設に対処しなければ、道路方式による開発の目的を達成できないことは明白である。山交がリフト建設のため貸付を受ければ直ちに道路方式が破綻することになるので、A1署長らが山形県の道路方式構想を尊重するのであれば、山交に対しても控訴人に対する態度と同様に貸付を拒むように対応すべきである。観光資源調査についても全く同様である。秋田営林局及び青森営林局は同一地域であることや国民に対して公平な対応が要請される行政の原則に照らし、控訴人と山交に対し同じ対応をなすべきことは当然である。

しかるに、A1署長らは山交に対してリフト建設の支援・協力を図る反面、控訴人に対しては終始一貫貸付申請の受理すら拒否したのであるから、故意をもって控訴人リフトの建設を妨害したことになる。

(二) 貸付見込書交付後の不法行為

貸付見込書の交付により控訴人と被控訴人との間に成立した法的関係として考えられるものは、「1」国有林野貸付契約そのもの、「2」貸付見込書記載の三つの条件を付款とする停止条件付貸付契約、「3」本契約を締結すべき旨の予約、「4」右三つの条件が満たされた場合には本契約をしてもよいとする貸付の準備としての意思表示、のいずれかである。右「1」ないし「3」のいずれかであれば、控訴人に契約上保護されるべき利益が認められ、山形営林署長はこれを侵害してはならない義務がある。また右「4」であっても、山形営林署長には誠実に速やかに本契約の成立に努め、控訴人の契約締結の利益を侵害してはならない信義則上の義務がある。なぜなら貸付見込書交付後、貸付に至らなかった実例がなく、いずれも速やかに本契約が締結されており、それ故に本件においても貸付見込書の下附により他の行政機関も本契約に準じて索道事業免許を与え、工作物新築届出を受理しているからである。

従って、貸付見込書の法的性質が右「1」ないし「4」のいずれであっても、山形営林署長が貸付見込書交付の趣旨に反して、契約締結を妨害する行為に及んだときには、控訴人の右権利あるいは利益を侵害し、不法行為となる。

ところが、貸付見込書交付後、A1署長は控訴人に対し、職権を濫用して、「1」リフト路線変更の強要、「2」建設工事の中止命令、「3」県境の移動によるリフト起点変更等の妨害行為をなし、その結果控訴人リフトの建設を遅延させた。

右(一)(二)の行為は、A1署長らの故意に基づく控訴人リフトの建設に対する一連の妨害であり、包括的にみて全体としてひとつの不法行為である。

3  「県境移動」による妨害

被控訴人による県境の移動は、控訴人リフトの建設を阻止・遅延させるために行った様々な故意による一連の妨害行為があったことを示す何よりの徴表であり、その一部を構成するとともにそれ自体独立した個別の不法行為である。県境問題が本件に関連する点は次のとおりである。

(一)貸付申請に対するA1署長らの出鱈目な対応

昭和三八年一月一〇日控訴人の貸付申請に対し、A1署長が控訴人リフトの起点がa1駐車場のすぐ近くであると考え「宮城県に属しているように思われる」旨答えたのは事実であるが、A1署長の日記中五月一一日欄の「現場を見ると入っている」との記載や当時白石営林署が日本道路公団に対しa1駐車場を未だ貸付けてはいなかった事実に照らし、発言内容どおりの県境認識を持っていた筈がなく、虚偽の口実にすぎない。

(二) 県境の移動は、山交リフトの建設を支援する傍ら控訴人リフトの建設を断念もしくは遅延させる目的のために企図・実行された。

山形営林署と白石営林署の管轄区界は、上山市とa2町の境界線すなわち山形県と宮城県の県境線に従属し、昭和三八年当時山形営林署が所持していた基本図には右管轄界として本件登山道、県境線を明示する描入がされていた。山形営林署は本件登山道までを管轄区域として管理していたし、実際にも右三つの境界は県境線で一致していた。

県境問題は、B3社長が五月一一日A1署長に対し、「山交は山形署内に入っているのを知っているか」との抗議の電話をしたことによって、急浮上した。A1署長は現場に赴いて見分してみた結果、山交リフトの予定敷地が本件登山道より北の山形県内すなわち山形営林署管轄内に入っていることを認識した。そこで、A1署長ら営林当局は次のとおり山交のリフト敷地を宮城県内とするために、県境を移動せざるをえなかったのである。

(1) 検測目的の不当性

山交は四月二七日白石営林署との間で国有林野貸付契約を締結した。しかし、貸付場所の実査も実測もせずに手続が進められており、貸付場所は山交から提出された五万分の一の地形図と乙第一一九号証の二添付の「蔵王刈田岳付近図」に基づいたにすぎないので、正確には確認されていない。

B3社長からの前記電話を受けたA1署長は、白石営林署に対し山交の工事場所が白石営林署管内か問合せた。ついで、A1署長の指示により、A4主任が同月一三日境界図と基本図(乙第一一八号証)等を資料として、さらにA5管理官が同月一七日にそれぞれ検測を実施した。その後、A6係長が六月一八日から二二日まで営林局として正式の検測を実施した。

ところで、A1署長は他管内に間合せる以上、その前に当然右基本図に当って確認していなければならない。その際に、現在ある基本図(乙第一一八号証)と同じ図面っまり村山農校生による本件登山道実測線が記入されている図面が存在していれば、本件登山道は一見して白石営林署管内と判るから、わざわざ問合せる必要はなく、同日のA1日記に現場を見ると入っていると記載したりする筈はない。この理は、その後のA4主任、A5管理官、A6係長による各測量においても同じである。それなのに、A1署長らが先の行動を取ったのは、基本図に記入されていた登山道の表示がこれと異なって本件県境線と一致していた、すなわち山形営林署内の資料では山交リフトは山形県内にあったからである。また、山交が昭和三七年八月七日山形営林署に対し国有林野入林許可申請をしたところ、山形営林署が管轄区界につき検討保留した事実もこれを裏付ける。

そもそも被控訴人主張のとおり県境の検測を実施する必要があれば、少なくともA6検測の実施、その成果を得るまでの間は、山交リフトの工事付近の地域も含めて「県境不判明」であったことに他ならない。そうであれば、山形営林署及び白石営林署は山交に対し、未だ下刈作業の段階にすぎないリフト工事を一時中止させる等の何らかの行政措置をとるべきであるのに、全くとっていない。

(2) 本件県境と本件登山道は一致していた

次のとおり、正しい本件県境は本件登山道と一致していたが、その点はさておくとしても、少なくとも山形営林署は五月一一日自ら疑義を唱えるまでは本件登山道が本件県境であるとして取扱っていた。

ア 五万分の一地形図は、明確に本件県境線と本件登山道とが一致していることを示している。すなわち、地形図図式詳解によれば、道路と境界線が一致するときには、図示された道路のどちらかの側に適宜〇・二ミリメートルの間隔をあけて境界線を表示し、その境界線を示す四角形の道路側の二角の突片を省略するところ、五万分の一地形図では本件登山道と本件県境線の関係は】】】と表示されているので、明らかに本件登山道と本件県境線とは一致している。さらに、旧陸地測三部の部内作業規程である地形測量実行法第一三二条によれば、関係自治体である当時のa2村及びa3村が一致して「本件県境線と本件登山道とが一致する」旨指示しない限り、右地形図に境界を描入しないものと規程されているから、地形図上、本件登山道に一致させて本件県境線が描入されていれば、当時のa2村及びa3村がそのような指示をしたことを意味する。

この点につき、被控訴人は「1」右地形図に描入された境界線は、地図上一ないし三ミリメートルしかなく、当時a2村及びa3村が現地に対応して判別できる筈がない、「2」行政区界の争いに五万分の一の地形図を持出すことは適切ではない、「3」本件の境界を分水嶺として描示したとしても、右地形図に表示されているようにしか描画できないと判断した等と主張する。しかし、被控訴人の右主張は、いずれも問題がずれていたり、誤った理解に基づくものである。すなわち、「1」問題は地形図式に照らし本件登山道と本件県境線が一致していると表示されているかどうかであり、「2」a2村及びa3村が指示するのは、右の意味で一致したかどうかであって具体的な境界線そのものではないから、十分判別可能であり、「3」陸地測量部が実測せずに境界を分水嶺として描示したとすれば、地形図上の分水嶺すなわち本件登山道から一ないし三ミリメートル離れて県境線を描示する筈であるが、そうなっていない。そのほかの被控訴人の主張は、地形図の無理解などによる誤った前提に立ったものである。

イ 関係自治体は、公表された地形図の本件県境線を積極的に承認し、本件登山道が本件県境であるとして行政措置をしてきた。

山形県a3村、上山市そして宮城県が本件登山道を村道、市道、県道として認定した上管理してきたことは原判決第二の一2(三)(4)エ(四九枚目表一一行目から五〇枚目裏一〇行目まで)記載のとおりであり、他方宮城県a2町は、本件県境問題が発生して以降営林当局と山形県の主張に追随してまさに「棚からばた餅」式に分水嶺説を主張し始め、以降本件登山道の維持・補修工事を一方的にやり出したというのが実態である。

ウ 山形営林署が作成保有した基本図(乙第一一八号証)では、明確に本件県境線と本件登山道は一致している。

明治三五年四月制定の国有林業施業案編成規程によれば、基本図は営林行政業務の基となる図面であり、国有林野の管理は基本図に従い、そこに示された区域で行われる。本件においても、山形営林署は右乙第一一八号証の基本図に示された区域を所轄地域として営林行政を実施してきた。

右基本図は明治三七年に実施された周囲測量による境界図をそのまま移記して作成され、同図には本件登山道が境界線に一致して描示されている。描入の時期は、大正年間に山形小林区署長が本件登山道を巡視路線として指定しているので、遅くとも大正年間と推測できる。また、B4査定官による測量成果に基づく境界査定図にも本件境界線に一致して本件登山道が描示されている。さらに遅くとも大正年間には、基本図に本件登山道が管轄内の道路として描入された。してみれば、山形営林署は明治三七年のB4査定官による査定当時から本件登山道が本件県境であると認めて営林行政を進めてきたことは明らかである。

エ 本件登山道沿いに存在する二四号石標

この二四号石標は、本件登山道沿いの「沢端」に本件問題発生時点で既に存し、現在も同位置にある。この石標につき、B4査定官の境界査定に同行・補助した永野保護区官舎が、自ら保有管理している国有林野標柱境界簿(乙第二七号証の一、二)及び標柱検視簿(乙第二八号証の一、二)に明治三五年設置された境界標であるとして最近まで記事を書き込み続けていた。この二四号石標の存在及びこれを永年に亘り正規の標識として管理してきた事実からも、本件登山道が本件県境であることが裏付けられるとともに、明治年間より営林局はこの立場に立って営林行政を進めてきたというべきである。

オ 国絵図の国境記載の意味と江戸時代の国境すなわち現在の県境について

本件係争地域において、元禄国絵図では「此蔵王獄峯通国境是ヨリ猿鼻山迄ノ間山峯通国境」と記載され、天保国絵図も同じ記載である。

被控訴人は、右「峯通」の文言をもってこれを「分水嶺」と解釈し、国境すなわち現在の県境が一枚石沢と仙人沢の間の分水嶺であると主張する。

しかし、仙台藩と山形藩は、当時国絵図を記載するについて、現地に立ち入って国境線を踏査したのでなく互いに下から見た山頂の位置を確認し、その特徴のある稜線を認定したにすぎないから、これらの国絵図を根拠にして具体的な国境線を確定することはできず、地元の慣習、特にふもとの村々の境界認識がむしろ決め手となる。従って、本件登山道はこれを管理していた山形県側に属することが明らかである。

(三) 控訴人に対する妨害内容等

A1署長は白石営林署長と共謀の上、A6検測による再現結果を県境線とすることにより、次のとおり控訴人リフトの建設を妨害した。

白石営林署のB5庶務課長は八月二〇日控訴人に対し、控訴人リフトの支柱部分が白石営林署管内に入っているので、書類を提出後に工事をするように指導し、併せて始末書の提出と賠償を求めた。そのため、控訴人は同月二二日白石営林署に対し、弁償請書、始末書及び国有林野入林許可願を提出することを余儀なくされた。

A7庶務課長とB5庶務課長は同月二一日控訴人に対し、A6検測に基づき、当時控訴人リフトの起点とすることを予定していたd点は宮城県内にあるからこのままだと仙台陸運局の事業免許を取直さなければならないと述べた上、北へ約二五メートル、西へ約三〇メートル移動するように強引違法な行政指導をしたため、控訴人はやむなく起点をd点からe点に移し、路線を変更せざるを得なくなった。山形営林署は控訴人に対し、同月二八日リフト工事を中止するよう通告し、さらに同月二九日白石営林署及び山形県とともにリフト路線が白石営林署管内にも入っているから同署との貸付契約を終えるまでは工事をしてはならないと通告した。

そのため、控訴人は本来不要な筈の次の手続を余儀なくされた。すなわち、「1」同年九月三日山形県に対し、特別保護地区内工作物新築許可申請のみならず、同月一二日宮城県にも蔵王国定公園索道事業執行許可申請を行った。「2」同月一二日白石営林署に対し貸付申請を行い、さらに同署からの指示に応じて同月一八日控訴人の登記簿謄本、山形営林署との貸付契約書及び事業計画書を提出した。「3」同月二八日白石営林署に対し貸付見込書交付願を提出し、同日その交付を受け、これを新潟陸運局長に送付し、一〇月一一日付で同局長名の工事施行許可書を取得した。「4」一一月二六日白石営林署との間で貸付契約をした。

(四) 過失に基づく責任

仮に、A1署長らに故意が認められないとしても、過失がある。すなわち、正しくは本件登山道が本件県境であるが、仮にこれが認められないとしても山形営林署は従前そのように境界を取扱っていたのであるから、本件においてもこれに従って措置すべきであった。それなのに、A1署長らは行政区界に繋がる管轄区界の検測をする権限がないのにこれがあるものと誤信し、かつその成果すなわちほぼ分水界に沿う線が正しいものと誤認し、従前の管理と異なる境界線に基づき控訴人に対しリフト路線、国有林野貸付及び陸運局の免許等について、前記のとおり諸々の行為を事実上強制した過失がある。

A1署長らが従前の県境取扱に基づいて措置していれば、誤った行政指導をすることもなく、従って控訴人リフトの起点変更に基づく工事や路線変更に基づく損害は、発生しなかったし、昭和三八年七月中旬には貸付に至った筈である。

4  被控訴人の不法行為責任

引用にかかる原判決第二の一3(五三枚目裏二行目から五四枚目裏初行まで)記載のとおり、被控訴人はA1署長らの故意又は過失に基づく行為につき、第一にそれが公権力の行使に該るから国家賠償法一条一項により、第二に仮にこれに該当しないとしても、民法七〇九条、七一五条により、いずれにしても賠償の責任を負う。

5  損害

(一) 包括的不法行為による損害

リフト建設に必要な各種許可手続に通常要する期間は三ケ月であり、工事に要する期間は二ケ月弱であるから、一月一〇日の貸付申請が受理されていれば、控訴人は四月にはリフト工事に着工し、遅くとも七月一日には営業を開始できた。従って、右損害は、訂正の上引用した原判決記載第二の一4(五四枚目裏二行目から六〇枚目表八行目まで)のとおり七月一日から一〇月三一日までのリフト営業による得べかりし利益二八六三万八三五二円を含む各損害合計四〇〇二万〇六八一円に、弁護士費用五〇〇万円を加えた四五〇二万〇六八一円であるが、本訴ではその内金四〇〇〇万円を請求する。

仮に、貸付契約の時期が七月中旬に至ったとしても、前記貸付見込書交付後の不法行為がなければ、貸付見込書が交付された五月二三日に山交と同様に工事を開始し、約二ケ月間の工事期間を見込んで、遅くとも八月一五日には営業が開始でき、一〇月三一日までは営業できた筈である。従ってその間のリフト営業による得べかりし利益一八一六万〇九〇六円を含む各損害の合計は二九五四万三二三五円で、これに弁護士費用五〇〇万円を加えた三四五四万三二三五円が総損害である。

仮に、貸付契約に至った七月中旬から工事を開始したとしても、遅くとも一〇月一日には営業を開始し、同月三一日までは営業ができた筈である。従ってその間のリフト営業による得べかりし利益七二一万七七九六円を含む各損害の合計は一八六〇万〇一二五円で、これに弁護士費用五〇〇万円を加えた二三六〇万〇一二五円が総損害である。

(二) 「県境移動」による損害

右損害は、次のとおりである。

(1) 起点(a↓e)の変更による損害

クの有料道路料金を除き、訂正の上引用した原判決第二の一4(一)(1)(五五枚目裏七行目から五六枚目表初行まで)記載のとおりの損害である。

ア 土橋工事費   一九二万六三一五円

イ 沢の埋立工事費  二七万一〇〇〇円

ウ 材木代金     一二万三〇〇〇円

エ 骨材代金     九七万八四五〇円

オ ブルドーザー費用 一三万四〇〇〇円

カ エコーライン通行料 六万〇九〇〇円

キ 人夫賃       八万一六〇〇円

ク 有料道路料金    四万四五〇〇円

(2) 保安設備工事費        九四万三八五〇円

原判決第二の一4(一)(2)(五六枚目表八行目から同裏三行目まで)記載のとおり控訴人リフトが一部沢にかかることとなったため、余分に必要となった工事である。

(3) 新林班界の設定・「県境移動」・リフト路線変更による損害

ア、イは原判決第二の一4(一)(3)(五七枚目表七行目から同裏八行目まで)記載のとおりの損害である。

ア 自動車償却費   四〇万〇〇七八円

イ 書類作成費       八〇〇〇円

ウ 県外出張費    八九万四七八三円

「県境移動」により、県境の調査、新潟陸運局に対する路線変更手続等、土橋工事等の建設に関する日本道路公団との交渉及び白石営林署・宮城県に対する申請手続上、県外出張を余儀なくされたため、余分に支出した費用である。

(4) 工事遅延による損害

「県境移動」がなければ、控訴人は昭和三八年八月中旬頃控訴人リフトの路線を「d―D′」線として工事施行認可申請するともにリフト建設工事に着工し、遅くとも同年中の積雪前に工事が完成していた筈であるのに、県境の移動により完成が昭和三九年六月となったため、原判決第二の一4(二)(五八枚目表三行目から同面末行まで)記載のとおり本来不要な次の支出を負担させられた。

ア 除雪人夫賃    二二万五〇〇〇円

イ 仮索道費    一三〇万〇〇〇〇円

(5) 結び

「県境移動」による損害は、以上の合計七三九万一四七六円とこれに弁護士費用五〇〇万円を加えた合計一二三九万一四七六円及びこれに対する不法行為後で、訴状送達の日の翌日である昭和三九年三月二六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(三) 損害の予備的主張

仮に前記(一)、(二)の損害が認められないとしても、控訴人はA1署長らの不法行為により控訴人リフトの営業開始が遅延したり、本来不要な出費を強いられるなどして著しい精神的苦痛を受けた。これを慰籍するには、故意又は過失のいかんを問わず、原審で主張した損害額の合計(四〇〇二万〇六八一円)が相当であり、これに弁護士費用五〇〇万円を加えた四五〇二万〇六八一円が総損害であるが、本訴ではその内金四〇〇〇万円及びこれに対する前記同様の遅延損害金を請求する。

三  当審における被控訴人の主張

1  包括的不法行為の主張に対する反論

(一) 貸付申請に対する対応

国有林野貸付の法的性質は行政処分ではなく私法上の賃貸借契約であるから、諾否の自由があり、契約の申込にすぎない貸付申請に対して諾否の通知や応答をする義務はない筈であって、申請を受理しないことをそもそも問題にする余地はない。

仮に行政処分であっても、控訴人が山形営林署に対し、国有林野法施行規則一四条所定の書面を提出したのは、三月一四日以降であり、それ以前は単なる口頭の陳情に止まり、受理の対象とはならない。同日以降については、山形営林署は道路方式でのみ開発するとの山形県の方針を尊重して貸付は困難であると判断するとともに、貸付可能と確認したとき初めて申請書を受理するとの取扱慣行に従い、当面申請書を受付なかった。さらに同規則一四条によれば、申請書には実測図を添付し、かつ山形県の工作物新築届受理証明書の添付を要するところ、申請書はこの要件を具備しないものであったから、山形営林署には受理する義務がない。

次に、控訴人は山形営林署と白石営林署において同一に対応する義務があると主張する。しかし、私法上の契約であるから右義務はなく、行政処分であっても営林署長にはそれぞれの管内事情に応じた一定の裁量権があり貸付義務はないから主張自体失当である。なお、控訴人と山交とは、リフト経営の経験や資金力等において大きな違いがあるのみならず、山形県と宮城県とでは県立自然公園条例の規定の仕方の違いや保安林の指定の有無等も異なっていたのであるから、山形営林署長と白石営林署長において同一に対応すべき義務はなかった。

(二) 貸付見込書交付に伴う法的関係

貸付見込書は法令上これを交付すべきものと定められている文書ではなく、その法的性質は、条件が整った場合には国有林野の貸付が可能であることを営林署が表明する事実行為であり、何ら法的効果を伴うものではない。従来国有林野の貸付について貸付見込書を交付してきたのは、一つの工事について複数の行政庁の許認可等を必要とする場合に、これらの手続がいわば三竦みの状態になって進行しないといった事態を回避し、行政庁相互間の事務を円滑に進行させるため、申請人に対する一種の行政サービスとして、貸付が可能であるという事実を証明するものにすぎず、契約締結に向けた意思表示としての性費は有していない。従って、貸付見込書を交付したからといって契約の締結を承諾したことにならないのは勿論、契約締結が義務化するとか、速やかに契約を締結すべき作為義務が発生するとみることはできない。なお、控訴人に交付した貸付見込書には、「1」リフト架設工事については所管行政庁の許可を受けること、「2」リフト架設工事については自然公園法による山形県知事の承諾を受けること、「3」水源かん養保安林の指定解除を受けることの各条件が付されていたが、右各条件を具備できなかったのは、ひとえに控訴人側において主に山形県との関係でリフト路線が特定・確定できなかったためであり、山形営林署側には問題はない。仮に、百歩譲って営林署側にも、契約締結に向けて一定の協力をすべき信義則上の義務が発生するとしても、山形営林署は控訴人の申請手続を担当したA8司法書士に対し、貸付申請書に実測図を添付すべきことを指導するなどその義務は尽くしている。

2  「県境移動」の不存在

次のとおりA6検測による再現結果は管轄区界が分水嶺であることに合致し、山形営林署における従来の取扱とも一致するので、それに基づく山形営林署長らの措置には故意・過失がない。

(一) 山形営林署の管轄区界認識

(1) 各種図面上の記載をみると、次のとおりである。

ア 基本図(乙第一一八号証)

同図は、昭和三四年度の調査作成にかかる秋田営林局備付の原本で、管轄区界線の記入は白石営林署備付の基本図(乙第一二一号証の一、二)のそれと位置的に合致している。右図には本件登山道の位置が白石営林署側に描入されているので、当時の秋田営林局及び山形営林署は、本件登山道が管轄区界であるという認識は持っていなかった。なお、本件登山道の表示が修正された経緯は、昭和三四年度経営計画編成事業の調査の際、A9編成員が前年に行われた村山農校生の実測成果に基づき嵌入した結果、誤っていた従前の登山道の見取線を削刀で削除し、修正したものである。また、右修正前に管轄区界線に沿って記入されていた登山道の表示は、熊野岳に連なるという誤った記入箇所もあり、概ねその付近であるというにすぎない。

イ 空中写真図面(乙第三六号証)

同図は、県境問題の提起前の昭和三七年九月に発注され、大洋測量株式会社によって昭和三八年一月に秋田営林局に納入したものであるが、管轄区界として本件登山道と異なる分水嶺が表示されている。

ウ 境界図(乙第二号証)

同図は、山形営林署備付の図面で、B6周囲測量成果に基づき本件管轄区界が表示されている。右区界線と現地の屈曲とを対照すれば、右区界線は本件登山道を表示していないことが、明らかである。

エ 境界査定図(乙第四号証)

同図は、境界査定身構に基づき作成される図面であるが、そこに境界線に沿って記入されている線は、黒色すなわち国境である旨の描示であり、朱色の表示とされるべき本件登山道の表示は描かれていない。

オ 山形事業区計画図(乙第一〇七号証)

同図は、秋田営林局及び山形営林署に備付の図面で、本件登山道が境界線沿いに記入されている。しかし、右計画図は、そもそも細部の境界を示すことを目的としたものでなく、秋田営林局は、国土地理院作成の五万分の一地形図を利用し、これに必要事項を書込んで作成しているので、五万分の一地形図において登山道に沿って県境の記号が表示されていれば、計画図にも同様の記載がなされるのは当然である。

(2) A1署長の管轄区界認識

A1署長は、一月一〇日控訴人からの陳情を受けた際、白石営林署が日本道路公団にa1駐車場を貸付済であったから、同駐車場を起点とする控訴人リフトも同管内になると認識し、当時の関係営林局署の職員の間でも同様に認識されていた。確かに、白石営林署の貸付先は名義上宮城県となっているものの、日本道路公団が当初から自ら作成した図面に基づいた綿密な打合せを行い、貸付地特定のための立会、実測図の作成等の実質的な折衝も全部担当してきたので、A1署長らは日本道路公団が貸付先であると即断していた。

(3) その他の控訴人の主張に対する反論

ア 刈田蜂歩道の認定

山形営林署及び永野担当区備付の歩道整理簿によると、昭和三年に本件登山道が刈田峰歩道として山形営林署管理の歩道に編入されている。しかし、営林署の歩道は国有林野の管理経営の必要から指定しているのであるから、地理的な便宜や利用度を考慮して営林署の管轄区域に必ずしも従わず、区域外に亘って指定される場合がある。従って、山形営林署が本件登山道を刈田峰歩道の一部として長年維持管理してきたといっても、本件登山道が管轄区界であるとの取扱をしていたことにならない。

イ 巡視線路の指定

永野担当区備付の巡視線路図には、控訴人主張のとおり本件登山道が大正年間に山形小林区署長によって巡視線路に指定された旨の記載がある。これをもって控訴人は本件登山道が県境であって始めてこの巡視線路も意味をなすと主張するが、そもそも巡視線路の指定は、国有林野内の誤盗伐防止などの目的を達するために便宜な通路を選定しかつ必要に応し時々変更すべしとの規定によって行われたので、固定したものではなかった。また、他管内であっても通過通路として巡視線路に指定する場合があり、自管内に限定されていたものではない。

ウ 二四号石標の存在

二四号石標の存在をもって山形営林署が従来登山道が県境であると認識して営林行政を進めてきたことにはならない。すなわち、「1」 現在存在している二四号石標はB4査定にいう二四号点の正しい位置になく、その箇所から約一五〇メートルずれたところにあることがA6検測及びB7鑑定によって客観的に明らかにされている。「2」二四号石標は昭和三九年九月六日に山形地方検察庁の実況見分においてB8検事が発見するまで、山形営林署は勿論、地元民においてもこの石標を現認した者はいない。「3」B4査定において新設された境界標は二八号石標一個のみであり、二四号石標は新設されていない。「4」国有林野境界標柱簿は規定に基づいて作成された正規の帳簿ではなく、標柱検視簿を作成するための部内資料として便宜作成された書類である。右標柱簿には本件境界における境界標として二四号木標の記載があるが、その位置欄のいずれにも「中川・a2・a4村界」との記載があり、二八号石標と同じ位置にあることになるが、B4査定においては二八号点に石標を設置したのみで、その他の境界点は総て無標とされているから、二四号木標の記載は誤りである。「5」右標柱簿に記載され続けてきた経緯は、次のとおりである。すなわち周囲測量では境界点数を省略したのに、図面作成の際、境界点をそのまま順に数えて付番したために、境界図及び基本図上では二八号点に誤って「24」と記入された。

次に永野担当区において二四号石標を新たに作成し、境界図上の位置に正しく設置しようとしたところ、既に二八号石標が存在していたので、初めて付番の誤りに気付いた。しかし既に製作してしまった二四号石標を書類上処理する必要から、無標の二四号点に従来から木標が設置されていたことにして、現存する二八号石標と併せて右標柱簿に記載し、ついで標柱検視簿の作成に当たっても、この記載をそのまま移記したのである。「6」当時の営林局署の図面のうち、二四号石標が記入されていたのは永野担当区事務所備付の境界図だけであり、秋田営林局備付の原本及び山形営林署備付の副本のいずれにも記載されていない。「7」B4査定における二四号地点は岩石無立木地帯であって、灌木類の中にある現存つまりB8検事発見時の二四号石標の位置ではないし、仮に控訴人主張のとおり境界査定野薄の八号点等の方位を操作してもB4査定の結果はそこを通過しない。

(二) 控訴人に対する管轄区界の説明状況

五月三〇日及び六月初めに、B3社長が本件登山道が県境であるとして山形営林署に抗議に来たので、A5管理官とA7庶務課長は、空中写真図化図面を示して、本件登山道が管轄区界線ではないと説明した。その上でB3社長は右図面の貸与を受け、これを利用して蔵王御釜リフト建設計画図を作成し、その図面上の管轄区界の左側すなわち山形営林署側に自らの予定路線を表示しているばかりか、七月二九日新潟陸運局長に提出した起業目論見書変更認可書の添付資料の中でも、右管轄区界を前提として自らの予定路線を表示した。

(三) A6検側の正当性

(1) 検測権限

蔵王国有林における一連の境界は、一部の官林境界踏査によるものを除き、その大部分が国有林野法(明治三二年法律第八五号)とこれを引継いだ国有財産法(大正一〇年法律第四三号)による境界査定に基づき確定された。境界査定とは、国が行政権の作用により一方的に国有林野とそれ以外の土地との所有権の範囲を判別確定するために行う行政措置であり、隣地所有者の立会を求めて法定の手続により実施される確定力のある行政処分である。右境界査定は官民地界についての査定をいうが、国有林野内部の管轄区界の確定もこれに準じて施行されていた(明治三三年農商務省訓令三三号国有林野測量規程七条二項)。従って、国有林野において業務上管轄区界を現地に明らかにすることが必要になった場合、根本の資料となるのは境界査定に伴う一連の測量成果であり、A6検測が明治三七年のB4査定を前提として行うことは当然の措置である。

検測とは、既に確定している境界を現地に明らかにする測量作業であるから、関係者の立会は不要である。

なお、明治三七年のB4査定においては、関係行政機関の吏員が立会、指示する行政区界を確認しながら、それと一致するように管轄区界線を定めて行っており、右査定手続自体、行政区界に一致する管轄区界の定め方として何ら違法ではない。

次に、控訴人指摘のとおり国有林野内部の管轄区界(区画線)につき検測の手続は明文で規定されてはいないが、境界検測の目的は境界保全にあるところ、区画線についても現地上不判明となる場合があり、境界保全の必要があることは官民地境界の場合と何ら異ならないのであって、区画線測量にも境界検測の規定が当然に準用される。従来営林局署において当然の測定事業として通常行われていた業務であり、これと同じように実施したにすぎないA6検測には故意・過失もない。また、A6検測は、県境つまり行政区界を明らかにするために行われたのではなく、控訴人がa1駐車場敷地及び山交の下刈場所が白石営林署管内であることについて納得しないため、山交リフト及び控訴人リフトの予定路線との関係で管轄区界の位置を現地に明らかにするという貸付業務上の必要により行われたのである。

さらに、控訴人は営林局署の管轄区界は自治体の行政区界に従属すると主張するが、行政機関の管轄区界は、当該行政機関内部の事務分掌の地域的区割であるから、必ずしも行政区界と一致すべきものではなく、当該行政機関の沿革や内部事情に応じて行政区界と別個独立して定められている。本件の営林行政においては、広大な国有林野を管理する必要から境界査定に伴う測量成果によって管轄区界が現地に明らかにされている関係上、行政区界が変更になったからといって、管轄区界がこれに連動して自動的に変更になるという取扱にはなっていない。

(2) 方法の正当性

検測に用いた資料すなわち境界査定野薄、測量手簿、経緯距計算簿、境界簿等は的確であり、その検測の手法も相当であった。またA6検測における判定が恣意的なものではなく、客観的に正しいことは、「1」A6検測線、「2」B4査定野薄の約五〇メートルの誤差を機械的に各境界点に比例配分した線、「3」B6測量手簿の改ざん前の数値と認められる距離に基づき更に誤差を機械的に比例配分して修正した線を比較検討すると、いずれの線もほぼ同じ場所で分水嶺を通っていることからも裏付けられている。

この他、控訴人の主張するA6検測の手続的欠陥に対し、以下のとおり反論する。

「1」標識を補修・増設しているにもかかわらず、国有林野測定規程一二〇条に基づき隣接地所有者への連絡をしていないと主張するが、行政上管轄するにすぎないa2町は隣接地所有者の概念に当たらず、右国有林界上、隣接地所有者に想定されるべきは白石営林署であって、同署が二八号石標の移設及びその他の境界点の測量杭の設置に立会っている、「2」控訴人主張のとおり地籍調査は実施していないが、検測の目的が白石営林署と山形営林署の管轄区界を現地に明示するためであり、上山市とa2町の行政区界が問題となって調査したのではないから、地籍調査を命じられていなかった、「3」同測定規程一二一条三項に規程する検測後の境界測量を実施していないのは、検測箇所が一部分に限られている場合、境界測量を実施する前提として必要な図根測量を行うことは非常に不経済であり、年次計画に基づかない一部界線のみの検測の場合は、現地に境界点の位置を再現する測量行為のみを行い、境界測量は同事業区に対する測定緊急事業の実施を待って、全般の境界線とともに実施するのが、当時の林野庁における測定事業の方針であったからである。

(3) 結果の正当性等

A6検測が本件県境を移動させたものとすれば、山形地方検察庁の捜査以来三〇年近くに亘り、測量の専門家を含む多数の関係者によってA6検測の検討が行われる中で、必ず辻褄の合わない点が出てきた筈であるが、現在に至ってもなお、A6検測の方法及び結果に不合理な点を見出すことは困難である。このことはA6検測が旧測量成果をできるだけ正確に現地に再現することを旨として行われたことを示す何よりの証である。

なお、A6検測の結果はB4査定官作成の復命書に「ツカ、松、サクラ等非常ニ密生シ査定上困難ナルモ」と記載されている現地の状況に一致しており、本件登山道であればこのような記載になる筈はない。

(四) 県境の真位置

本件で争われているのは、御田神から馬の背までの県境が分水嶺か本件登山道かである。登山道自体は、清水から御田神、馬の背を経由して刈田嶺神社に達しているが、控訴人は、そのうち御田神から馬の背までの部分のみが本件県境を構成すると主張する。しかし、控訴人の主張は、「1」それ以外の県境は分水嶺であると認めているから、要するに蔵王付近の約二二・八キロメートルに及ぶ一連の県境のうち、約一・二キロメートルのみが登山道という主張であり、不自然である、「2」登山道は歩き易い箇所が踏まれていくため、位置が容易に変わりやすく、もともと県境とするのは無理があり、現に本件登山道も馬の背に一旦出る道となったのは明治の終り頃からで、それまでは馬の背に出ずに直接刈田岳山頂に至っていた、「3」宮城県内に所在する刈田嶺神社には同県内を通過しなければ到達することは不可能であるから、同神社に至る本件登山道が県境になるのはもともと無理がある。

(1) 本件県境と江戸時代の国絵図との関係

本件県境は山形県上山市と宮城県a2町の市町村界によって決定され、その区域は従来の区域を承継するので、結局江戸時代の陸奥国と出羽国との国境を引継ぐことになる。従って、江戸時代に作成され現存する正保・元禄・天保の国絵図、とりわけ元禄一三年の縁絵図をもって国境判定の根本資料とすべきである。そして、右官撰国絵図から明治政府になって認査作成された差出図を経て、明治三七年のB4査定に至るまで、本件境界は一貫して太平洋側と日本海側の分水嶺とされてきた。

控訴人は江戸時代の国絵図によって国境を明らかにすることはできず、これを明らかにする根本的資料は陸軍参謀本部陸地部測量部の地形図をおいて外にはないと主張する。しかしながら、右主張は次のとおり失当である。すなわち、「1」前記各国絵図は幕府の官撰図として内容の信憑性を認められており、元禄一三年の縁絵図は特にその信用性が高く評価されている、「2」山形藩と仙台藩は、国絵図に国境を記載するに当たり、現地を実測し照合していると推測できる、「3」元禄・天保の各国絵図には、蔵王嶽のところに「此蔵王嶽峯通国境これより猿鼻山との間峯通国境」と小書きされているとおり、峯通境界とは山頂割りすなわち分水嶺境界を意味する、「4」江戸幕府によって、国絵図に国境を記入するとき、道が国境であれば朱色の線によって表示すると定められていたところ、本件登山道を朱色の線で表示した国絵図は存在しない、「5」明治政府が官民有地調査を行った際、永野村において明治一八年九月に作成された差出図には、本件登山道は永野村から清水付近までしか描示されていない。

(2) 本件県境と五万分の一地形図との関係

五万分の一地形図における県境の表示の読み方について、控訴人は道路と境界線が一致するときには、図示された道路のどちらかの側に適宜〇・二ミリメートルの間隔をあけて境界線を表示し、その境界線を示す四角形の道路側の二角の突片を省略すると主張する。しかしながら、地形図図式詳解の第七七に境界線が線状物体に沿う場合はその一方の突出部を省く旨規定するとおり、五万分の一地形図における県境の表示は、県境が登山道に沿っていることを示しているに過ぎず、一致していることを示していない。

次に一見すると県境が登山道に沿うような描示となったのは、次の理由からである。すなわち、測図者が五万分の一地形図に県境を記入する方法は、地形地物の中で絶対的な基点となるところを要所要所に設定して、その基点間をフリーハンドで描示する。本件箇所において基点となり得るのは、当時のa3村・a4村・a2村の三村界(二八号石標)しかない上、分水嶺をいうA6検測線は本件登山道から五万分の一の縮尺で最大三ミリメートル、その他は一ないし二ミリメートルしか離れていないから、右二八号石標を基点としてこれに合わせてフリーハンドで記入する時は、当然登山道に沿わせた形にならざるを得ないのである。

更に本件五万分の一地形図に本件境界を描示する際、地形測量実行法第一三二条四項に規定する四つの方法のいずれによって境界の記入が行われたかは全く不明であるにもかかわらず、控訴人はあくまでも関係自治体が県境は登山道と一致するとの積極的な指示をしたものと断定している。しかし、同法一三二条一項には境界を「予め稿絵し置」くものと規定しているから、明治四四年の測図に際しては、現地での指示ではなく五万分の一の原図に境界を描入して提示されたと推測できる。従って関係自治体は、右境界について現地に対応した判断が不可能な状態、つまり本件境界につき登山道を表示したのかそれとも分水嶺を表示したのかを現地に対応して明確に認識することなく、特に異議を述べなかったものと考えられる。なお、a3村役場が昭和六年三月三日付で作成した地名調書には「奥羽山脈 山形県ト宮城県トノ境ニシテ」との記載があることから、自治体においても分水嶺が境界であるとの認識を持っていたことが窺われる。

(3) まとめ

以上のとおり、控訴人が登山道県境説の根拠とするのは、陸軍陸地部測量部明治四四年測図にかかる五万分の一地形図であるが、同地形図は登山道を県境と表示したものではなく、むしろ分水嶺を県境と表示したものと読むべきであり、右地形図はそもそも現地再現性に乏しく証拠価値が低い上に、現地における双方の境界の主張の齟齬が五万分の一の縮尺でわずか一ないし三ミリメートルである本件では、右地図を持出すこと自体が地形図の作成目的からして地図の選択を誤っているのである。本件係争箇所以外の一連の県境線の位置に照らしても、正しい県境は太平洋側と日本海側の分水嶺をおいて外にはない。従って、A6検測は、其実の県境の位置を現地に再現したに過ぎず、県境を移動したものでは決してないのである。

(五) リフト路線変更についての関与

控訴人は現地測量もせずに図面上でリフト路線を特定したため、五月から六月の現地踏査の結果、専ら控訴人の都合から独自の判断で予定路線を変更したものであり、山形営林署において路線変更を強要した事実はない。

なお、A7庶務課長は八月二〇日現地に赴いた際、控訴人リフトの起点とされている場所が起業目論見書変更認可申請書添付の路線実測図とも異なる位置にあり、A6検測線を基準にして白石営林署管内にあると知ったので、その場でB3社長に対し、同起点を維持するのであれば仙台陸運局長から新たに索道事業免許を受けなければならないが、起点を若干下げただけで山形営林署管内になることを告げた。右指導は正しい県境を基準とする適法なものであり、損害が生ずる余地はない。そもそも、管轄区界についてさえ山形営林署の説明に納得しようとしなかった控訴人が、リフト建設に当たって基本的ともいえるリフト路線の変更については、営林署の指導に従って、数回に亘って変更したというのは極めて不自然である。

(六) リフト工事に対する中止命令等

控訴人は、従前山形営林署において、貸付見込書の交付と入林許可があれば工事着工を認める慣行があった旨主張するが、そのような慣行はなく、控訴人が国有林野の貸付契約締結前に工事を着工する何らかの法的権原を持たないことはいうまでもない。国有林野の貸付手続においては、貸付申請された予定地を営林署において調査・測量し、事業目的からみて希望する面積・範囲が妥当かどうかを検討した上、貸付を受けようとする者との間で貸付地の範囲を特定することにしており、それ以前の段階で国有林野の原状に回復し難い変更を加える工事着工を黙認することはあり得ない。

もっとも、当時の山形営林署においては、貸付申請書を受理し、貸付契約の締結が確実に見込まれ、保安林解除の手続を待つのみとなった時点以降に、申請書が事実上工事を着工した場合には、保安林解除の手続に通常長期間を要することから、特に工事の中止を命ずることなく、事実上土地を使用させていた。この意味で、控訴人に事実上土地を使用させ得る段階に至ったのは、九月二〇日山形営林署が保安林解除の申請を秋田営林局に上申した以降であり、それ以前に工事の着工を黙認することはない。なお、控訴人に対して交付された保安林内作業許可及び山形営林署の国有林野立入許可は、いずれも工事着工を認めるものではない。

従って、山形営林署が七月八日控訴人に対し現地に無断で立てた看板を撤去するよう指示したのを始め、同月五日、同月一九日及び同月二五日の三回に亘つて口頭で工事の中止を申し入れ、同月二八日及び九月七日それぞれ文書により工事の中止を通告したのは、いずれも違法なリフト工事に対し、国有林野の管理者としてとるべき当然の措置であって、何ら違法ではない。

3  被控訴人の責任

国有林野の貸付は純然たる私経済作用であるから、国家賠償法の適用はないが、仮にあったとしても山形営林署長の行為は違法でなく、故意・過失もないから責任を負わない。なお、控訴人の不法工事の中止を求めた行為は国有財産の管理行為として国家賠償法の対象となること及び山形営林署長が国の被用者であり、同人の行為が民法七一五条にいう事業の執行につきなされたことは認める。しかし、山形営林署長はA6検測線が正当な管轄区界と信じて措置したものであって、故意はなく、そう信じたことにつき過失はなかった。また、山形営林署長の各措置は、管轄区界に関する従前の措置と何ら抵触するものでないから、その意味でも過失はない。

4  控訴人主張の損害

(一) 包括的不法行為による損害

(1) 控訴人リフトの開業遅延による損害

控訴人は一月一〇日に国有林野の貸付申請が受理されたものと仮定した場合、七月一日にはリフトの営業が開始できた旨主張する。しかし、控訴人が国有林野の貸付申請書を作成・提出したのは、三月一四日であり、これに入林許可願に添付すべき実測図の作成に要する一ケ月の期間を加えると、控訴人が適式な申請書を提出できるのは、早くとも四月一四日頃である。山形営林署において右申請書に基づき、貸付予定地の調査及び測量を実施した上、秋田営林局に上申するのに必要な期間は通常一ケ月である。保安林解除申請がされてから県知事による解除予定告示がなされるまでには最低でも四ケ月間を要するから、実際に保安林解除に至るまでの全体では約五ケ月半を要する。従って、前記貸付申請書の提出と同時に保安林解除申請書が提出されて手続を開始したとしても、保安林が解除になるのは早くて一一月初め頃である。また、保安林解除の手続を進めるためには、要解除地の特定と面積の算出が必要であるところ、本件において控訴人リフトの路線が確定したのは九月一六日であるから、この日が基準となるべきである。そうすると、保安林が解除になるのは早くて昭和三九年三月初めになり、実際の貸付契約締結日が同年一月一八日であるから、この点において控訴人に何ら損害はなかったというべきである。

なお、山交はそれまでにも他の場所でリフト用地の貸付を受けた経験があり、申請書も最初から適式であったばかりでなく、白石営林署側の国有林が保安林でなかったこと、蔵王連峰が国定公園に編入される以前の貸付であったこと、県立自然公園内の工作物新築の手続が山形県と宮城県で大きく異なっていたことなど有利な事情があるので、控訴人リフトとの間で遅速を比較することは当を得ない。

本件において、仮に貸付契約が遅延したとすれば、それは次のとおり専ら控訴人側の事情によるものである。すなわち、「1」例えば測量資格のない社員に測量をさせた等リフト計画が当初から杜撰であった、「2」国有林野の貸付手続についておよそ無知であった、「3」山形営林署と折衝する場において、控訴人側が一方的に自己の要求のみを声高に主張し、意に沿わないものは総て妨害と決め付け、営林署側の指導に一切耳を貸さない態度であった、「4」貸付見込書を交付すると、それによって工事着工が可能であるなどと一方的に主張して実力行使に出るという強引な想度であったという点にある。

控訴人において、五月二三日の貸付見込書交付後、同月末及び六月初めのA5管理官及びA7庶務課長による管轄区界の指導に従い、また山形県及び厚生省の指導に従って早急にリフト路線を確定させ諸手統を順調に進めていたならば、同年中に営業を開始することも不可能ではなかった筈であり、控訴人主張の得べかりし利益の喪失につき国が支任を負ういわれはない。

(2) 路線変更に伴う損害は認められないが、あったとしてもそれは専ら控訴人の計画が杜撰であったこと及び山形県との間で終点位置につき折衝を重ねたことに起因するものであり、被控訴人の行為に因るものではない。

(3) 工事遅延による損害は認められないが、あったとしてもそれは専ら控訴人側の責めに帰すべきものであり、被控訴人には何ら責任がない。

(二) 個別的不法行為による損害

A6検測は県境を移動したものではなく、山形営林署がこれに基づいて措置したことについて、山形営林署長に故意・過失がない。仮に県境を移動したとしても、控訴人としては白石営林署に対して国有林好の貸付申請手続をとればすむことであり、何ら損害はない。

(三) 損害の予備的主張について

控訴人が受けた精神的苦痛は控訴人主張の損害額の合計金額を下らないと主張するが、控訴人のB3社長らは、終始、山形営林署に対して一方的に自己の都合を声高に主張し、あげくには同署職員を面罵するという威丈高で非礼な態度で臨むなどしたためにその主張のような事態を招いたのであって、他から慰藉しなければならないような右金額に相応する精神的苦痛を受けたとは到底考えられない。

第三証拠(省略)

理由

第一序

控訴人が控訴人リフト建設に対する妨害であると主張する被控訴人の行為は、貸付見込書交付に至るまでは申請不受理、その後はいわゆる県境移動に代表されるものである。最初に本件の一連の経緯を検討し、そののちに不法行為の成否につき判断する。なお、挙示する文書証拠のうち、その成立(それが写である場合は原本の存在及び成立も含む、写真の場合は、撮影場所・日時・撮影者等が挙証者の説明どおりのものであること)が当事者間に争いがないものについては、その記載を省略し、昭和三八年中の出来事については年号と年の記載を省略することがある。

一  控訴人リフト建設の計画概要と手続

次に付加するほか、原判決理由一(同一三一枚目表初行から一三二枚目表末尾まで)説示のとおりである。

1  同一三一枚目表末尾に「また、弁論の全趣旨によれば、控訴人リフトの路線位置が右三九林班内にあれば、水源かん養保安林の指定解除が必要であったこと、しかし、当時の山形営林署においては、貸付申請書を受理して貸付契約の締結が確実に見込まれ保安林解除の手続を待つのみとなった時点以降に、貸付申請者が事実上工事を着工した場合には、特に工事の中止を命ずることなく、土地を使用させる慣行となっていたことがそれぞれ認められる。」を加える。

2  同丁裏初行の「甲第一号証」の次に「弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第四号証」を挿入する。

3  同一三二枚目表末尾に改行の上

「(四) 控訴会社の資本金は当初五〇〇万円であったが、昭和三八年六月二〇日までに一〇〇〇万円の増資により一五〇〇万円になるとともに、B3社長の実兄で元参議院議員の経歴を持っているA10常務の口利きもあってか、増資の際にはB9らからも協力を仰いでいた。」を加える。

二  本件地域の特徴

甲第三三九号証、乙第一〇八、第一三五号証及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

控訴人リフトと山交リフトの建設予定地域は、山形県と宮城県の県境付近にあるa1駐車場から「御釜」付近の馬の背に向う原判決別紙図面第三図のとおりの地域であり、二つのリフトは約三〇ないし一二〇メートル程度しか離れておらず、営業上は完全に競合するものであった。しかし、その建設に必要な各種の許認可を受ける手続面においては、当該地域がいずれの県に属するかによって、先に引用した原判決説示部分のとおりの差異があった。なお、右地域は山形県、宮城県ともに自然公園法に基づく県立自然公園の普通地域として指定していたが、宮城県の県立自然公園条例には山形県立自然公園条例とは異なり、単に景観を損わないように努めなければならないという趣旨の規定があるのみで、工作物新築届出を必要とせず、景観を損うような工作物に対しても県知事が禁止・制限その他必要な措置を命ずることができるという規定がなかった。しかも、宮城県側には保安林の指定がないためその解除手続は必要でなかった。この地域を含む蔵王山一帯については、昭和三三年九月頃、両県から厚生大臣に対し国定公園指定の申出をし、自然公園審議会から候補地適当との答申を受けていた。

第二貸付見込書交付に至る経緯

一  工作物新築届と索道事業免許申請

原判決理由二1(同一三二枚目裏二行から一三三枚目表三行まで)説示のとおりである。ただし、同一三三枚目表初行の「証明書」の次に「及び実測図」を加える。

二  貸付申請の不受理

甲第一、第三八、第三九、第三二三、第三四二、第三七二号証、第三九五、第四〇一号証の各一、第四〇四号証、乙第八〇ないし第八二号証、第一三九号証、原審証人A10、同A8、同A1(第一、二回)、同A11、同A2及び同A7の各証言、原審及び当審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  B3社長とA10常務は昭和三八年一月七日山形営林署を訪れ、応対したA1署長に対し、a1駐車場付近から「御釜」付近の馬の背に向かうリフトを作りたい旨口頭で説明したが、この時には特に貸付申請書等の書類は持参しなかった。A1署長は右説明が更に具体的になされた段階で対処しようと考えて、その時には格別の回答をしなかった。なお、控訴人リフト用地の貸付については、国有林野管理規程取扱細則三四条三号の「観光事業の用に供するものであるとき」に該当するので、国有林野管理規程二三条一項四号により山形営林署長は秋田営林局長の承認を受けなければならないと定められていた。

2  B3社長とA10常務は、同月一〇日の午後五時頃、山形営林署の厚生施設松籟荘において、当日山形に来ていたA2局長と面会してB10官房長官やA12参議院議員の名刺を差出した上、同局長に対し、a1駐車場付近から馬の背まで山形営林署管内にリフトをかけたいので許可を受けたいと申入れた。A2局長は、事前にA1署長から、A10常務は参議院議員をしたことのある人であっても現在はそう信用ある人ではない、陳情として聞いておいていただきたいとの説明を受けていたことや、昭和三七年一一月一〇日のエコーライン開通式の折、山交社長からリフト建設の意向を聞いていたこともあって、「競願もあるし、調査して回答する」旨答え、B3社長らもその程度で引上げた。その席上、A1署長がa1駐車場の付近をリフトの起点とするなら、そこは宮城県になると口を挟んだところ、A10常務は山形県内に決まっている、署長のくせに自分の境界も知らないのかと血相を変えて反論した。なお、その場にB3社長らは新潟陸運局に提出した甲種特殊索道事業免許の申請書(甲第一号証)の控えとこれに添付したリフト路線計画図を持参していたが、A2局長及びA1署長はこれに目を通したりはしなかった。

B3社長らが帰ったのち、A2局長がA1署長に対しa1駐車場は宮城県内なのかどうか念を押したので、A1署長は一旦山形営林署に戻り道路公団の貸付図面を持って料亭〃のゝ村〃に赴き、そこでA2局長に対し右図面を使って説明した。当夜、A2局長は山交が白石営林署にリフト建設のための貸付申請をし、受付けて貰ったかどうかを非常に心配しており、A1署長に対し、山交及び白石営林署に確かめるように指示した。

3  A1署長は一月一一日山交社長秘書のB11を呼んで、山交リフトの貸付手続の進捗状況を聞いたが、その時点ではまだ申請していないとのことであった。その際、A1署長はB11に対し、控訴人からリフト申請がされたので、山交も早くやった方がよいと伝え、B11が帰った後、白石営林署長に対し電話で、山交リフト建設の貸付手続の様子を確認したところ、申請があったとはまだ聞いていないとの回答であったが、申請がなされた際には山交の手続を早く進めてくれと依頼した。この最後の点につき、A1署長は刑事事件の公判廷における供述、原審における証言ではいずれもこれを否定しているが、確認するためだけであればB11から聞いた時点で既に足りているから、A1署長自ら他管内である白石営林署長に電話する必要はない筈であり、次の4の認定事実に関連する状況をも勘案すれば、右否定供述に依拠した認定をすることはできない。

4  A1署長は、A3白石営林署長と連絡した上で一月一七日仙台に赴き、同市内の喫茶店で同署長と約二時間会談し、山交への貸付について白石営林署の方針を聞いたところ、宮城県は刈田岳付近は道路方式で開発し、しかも宮城県の業者に開発させる考えなので、県は同意しないと思うし、営林署としても山交に対して許可できないだろうとのことであった。A1署長は控訴人からリフト建設の申請があったが、秋田営林局としては貸付しない方針であることをA3署長に伝えて山形に戻つた。

5  A1署長は一月中頃、山形県庁に出向き、B2副知事やB12計画課長に会って、山形県の意向を確かめたところ、県としては道路方式で開発し、景観を損ねるリフト設置は認めない方針であるとのことであった。

6  二月二日秋田営林局のA11総務部長とA13管理課長が、秋田営林局ではリフト建設を認めない方針であることを控訴人に伝える目的もあって山形に来た。右両名は同日午前A1署長の案内でB2副知事に会い、県は刈田岳付近にリフトの建設を認めない方針であることを確かめたのち、同日午後、A11総務部長は山形営林署に呼出したB3社長に対し、リフトの建設は認められないので国有林野の貸付はできないと断った。その理由として説明したのは、「1」控訴人リフト建設予定地域の一帯は国定公園になる予定であり、山形県の方針は景観を保持するため道路方式で開発し、あの地域にリフト建設を認めないということなので、この方針に反することとなる貸付はできない、「2」秋田営林局としては観光資源調査を実施し、将来の観光施設はその結果を待って立案することになった、「3」現在は積雪中で現地調査できないが山形営林署管内ではないかもしれないという三点であった。

A1署長は当日B10官房長官から控訴人リフトの建設をよろしく頼む旨の私信を受取り、当日の日記(甲第三四二号証、乙第二二九号証)に「B3を呼んで断る B10氏からの手紙来ていてギックリしたが腹を決めた」と記載した。

7  それより前の一月一九日頃、控訴人から依頼を受けて本件貸付申請手続を担当していたA8司法書士は、山形営林署においてA5管理官から、貸付申請書の様式、添付書類、作成部数等について教示され、二月末頃までに陸運局長の免許書及び山形県知事の工作物新築届受理通知書及び実測図面を除いて、申請書九通の作成を終えた。そして、三月一日頃山形営林署に持参したところ、A5管理官から署長のいる時にB3社長かA10常務から提出して貰った方がよいと言われて、持ち帰った。

8  B3社長は三月一四日山形営林署を訪れ、A1署長に対し、右貸付申請書を持参した上で、これを受理するよう要請したのを始め、その後も四月一〇日、同月二三日、同月二四日と数回に亘って申請書を受理するよう求めた。これに対しA1署長は従前とほぼ同じ理由で断り、特に四月一〇日、同月二三日には、B3社長が山形県では控訴人リフトの建設を認めるようになったと述べたので、改めて山形県に確かめたが、そのような方針変更はしていないとのことであった。

9  工作物新築届の関係では、控訴人は山形県計画課長の教示どおりの書式を整え、同月二五日上山市を通じて山形県に提出していたが、三月二〇日「慎重検討の結果風致景観上好ましい施設でないと認められるので、この届出書は受理できない。」との理由を付して返戻された。

10  四月二七日付山形新聞(甲第三七二号証)には、山交リフトが四月二五日仙台陸運局から事業免許が正式に許可されたことと、リフト架設は他社からも申請されていたが、山交の架設申請が認められたのは県を挙げての運動が実を結んだためであると同社では話しているとの記事が掲載された。この記事を見たB3社長は、四月二七日朝、A1署長に対し抗議の電話をした。

三  山交に対する貸付経緯

甲第一一六、第二四〇、第三一四、第三二三、第三二五、第三二六、第三三九、第三四一号証、第三九五号証の一、第四一四号証、乙第八〇ないし第八二号証、第一二二、第一二七(但し、日付部分を除く)、第一三六、第一三九、第一四〇号証、丙第一号証、原審証人A14(第一回)の証言により成立を認めうる甲第一〇二号証、いずれもその方式及び趣旨に照らし真正な公文書であると認めうる乙第一一九号証の一、二、原審証人A8、同A1(第一、二回)、同A15、同A12の各証言、原審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  山交は当時蔵王山一帯に普通索道(ロープウエー)二本、特殊索道(リフト)五本と刈田岳までの定期バス路線を有していた。これら施設のうち、パラダイス・坊平第一・第二の各リフト、山交系の山形観光株式会社の片貝・三郎岳(ただし下駅舎)の各スキーリフト、山交系の蔵王ロープウエイ株式会社の第一期・横倉第一リフトに関する各貸付申請書が受理されたのは申請と殆ど同時であったほか、山交第二リフト(ただし上駅舎のみ)、右片貝・三郎岳(ただし下駅舎)の各リフトの営業が開始されたのは貸付契約前であった事実がある。

2  山交は当時七億円の資本金を有する山形県内陸部最大のバス会社であったほか、同県の政財界に多大な影響力を有していた山形新聞、山形放送とグループを形成して密接な連携を保っていた同県内屈指の株式会社であった。当時蔵王山国有林野内に建設された索道一三件のうち控訴人リフト以外は全部山交及びその系列会社の施設であり、特にそのうちの八件の貸付は、A1が山形営林署長に就任した昭和三五年四月以降に行われたものである。また、従前山形営林署の職員らは山交経営のロッジを度々利用していた。

3  山交は、昭和三六年頃a1駐車場から馬の背に至る車道開設を計画したが、日本道路公団から反対されてその見込みがなくなり、これに代わるものとしてリフト建設を計画した。山交は昭和三七年八月上旬頃A1署長に対し、リフト架設の準備に必要な測量を実施するため、日本道路公団作成の蔵王地区平面図を部分的に利用して架設予定の路線を特定した上、国有林野入林許可願を提出した(乙第一一九号証の二)。しかし、山形営林署では白石営林署の所轄となるかもしれないとして検討のため回答を保留した上、検討の結果白石営林署管内ではないかと伝えた。それというのも同公団がa1駐車場を開設した際、その敷地は白石営林署の管轄地内にあるとの前提で処理されたからであった。

4  昭和三七年一一月一〇日のエコーライン開通式の場で、山交のB13社長は、A2局長及びA1署長に対し、改めて、リフトを計画しているのでよろしくと陳情した。その二、三日後に山交のA15索道課長がA1署長を訪れ、a1駐車場付近から馬の背に向うリフトを出願したいと言ってきたが、A1署長は起点がa1駐車場付近なら3に記載した理由から管轄は白石営林署になると説明し、A15索道課長からの依頼によりその頃白石営林署長に電話して、山交がリフトの出願に行く筈であるので話を聞いて貰いたいと連絡した。

5  山交は昭和三七年一二月二五日白石営林署に対し、リフト架設の測量を実施するため国有林野入林許可顧(乙第一二二号証)を申請した。これには、山形営林署に申請した入林許可願とほぼ同じく日本道路公団作成の蔵王地区平面図を部分的に利用して架設予定の路線が特定されていた。白石営林署は同月二六日右申請のとおり入林箇所を刈田国有林五六口内、入林目的を索道架設の測量、入林期間を同月二八日から翌三八年一月六日までの一〇日間として、許可した。しかし、当時入林地域は積雪中であり、測量をすることは到底不可能であり、山交も測量は実施せず、積雪の様子を見ただけに止めた。

6  A1署長は一月一〇日控訴人リフトの申請を受けた翌日、二3で認定したとおり山交社長秘書のB11を呼んで控訴人からリフト建設の申請があった旨伝え、白石営林署に対する貸付申請手続の進捗状況を尋ねた。そののち、山交は一月一四日付で蔵王山頂リフトの布地貸付見込承認願を作成し、同月二一日白石営林署に提出し、受理された。因みに、白石営林署では、この種の申請があれば、添付を要する書類が全部は整つていない場合でも、これを受理する取扱をしていた。すなわち、申請書に添付すべき書類につき、実測図は普通の申請者では測量できないので営林署で実査した図面で代える取扱とし、位置図だけを添付させた。また、他の行政庁の許認可を必要とする場合には、営林署の方で条件が整った場合には貸す見込みであることを示す貸付見込書を交付し、その後この貸付見込書により他の行政庁から許認可があったときにその書面を提出させる取扱であった。他の行政庁も営林署の貸付見込書がないと許認可をしないため、貸付申請時点でそれを揃えることが不可能という事情を考慮してのことである。

7  山交は二月六日仙台陸運局に対し、一月一〇日付の甲種特殊索道事業免許申請書を提出したが、右申請書添付の五万分の一地形図に記入した山交リフトの路線は、本件登山道よりも南南東側つまり宮城県側に、右登山道にほぼ平行する延長四七一メートルの路線となっている。

8  A1署長は当時山交の関係者と接触を持ち、特に索道課長A15とは、一月一六日から二月五日までの間、数回に亘って面会し、山交リフトの白石営林署に対する進捗状況を尋ね、A15索道課長が青森営林局に陳情に行く予定であることも知っていた。しかしA1署長は、控訴人リフトに対する拒絶理由、すなわち山形県の道路方式に反しているとか、観光調査の結果いかんによっては総合開発の対象となるので検討・保留している点に照らせば、山交リフトについてもその建設を当面控えてはどうかとの意向を伝えて然るべきであると思われるのに、同課長らに対しそのような意向を述べたことはなかった。

9  山交は二月二八日白石営林署に対し、日付を貸付見込書と合わせて一月一四日付と記入した貸付申請書を提出した。勿論その時点では作成されていない実測図面及び仙台陸運局の事業免許は添付されていなかった。

四月八日に宮城県は、白石営林署から予て出されていた山交リフトヘの貸付方針についての照会に対し、道路方式で開発する予定なので貸付には反対するとの文書による回答をした。ところが、同じ日に青森営林局長からは、逆に山交リフトの貸付を認める旨の通知が白石営林署長にもたらされた。そこで同署長は、宮城県の方針に反して、四月一〇日山交に対し国有林野貸付見込書を発行した。その上、貸付地を特定することも、面積・範囲の確定等のため行われている実査を経ることもなく、四月二七日山交との間に貸付契約した。従来このような措匿がとられたことはなく、全く異例のことであった。すなわち、貸付手続については、申請書の提出を受けたのち実査を行い、位置・面積を現場で杭等を打って特定し、立木、国有林の国土保安上その他の管理運営上の支障の有無について調査し、その結果を基にして貸付料金を算定し、右図面を貸付契約書に添付することになっていた。従って、貸付契約は必ず実査が行われた後、締結する取扱がなされていたのである。

10  また、仙台陸運局においても二月八日宮城県に対し、山交からの索道事業免許申請について意見を求め、同県から国定公園特別保護地区に指定される予定であるので、免許を与えることに同意できないとの回答を受けていたのに、四月二五日、白石営林署が貸付見込書を発行したので県も同意したものと看做し、免許を付与した。

11  山交は四月二八日以降原判決別紙第一図に山交山頂リフトと記載してある箇所でリフト架設工事を本格的に開始し、六月二一日に工事施行の認可を得、同月二四日工事着手届をして順観に工事を進め、予定どおり七月中に完成し、八月一日から営業を開始した。この間、山交と白石営林署との貸付契約における貸付地の特定は未了のまま推移し、従ってその面積・範囲も確定していなかった。結局、白石営林署から担当区に対して実査命令が出たのが九月一日であり、白石営林署において実測した結果に基づいて変更契約をしたのは、一二月初めに至ってのことであった。なお、山交リフト路線の位置は、右第一図のとおり、本件登山道が県境であるとすると、宮城県内となるのはリフトの起点から極く僅かの区間だけであり、その殆ど全部が山形県内に入ることになっていた。

12  この間、山交は五月初め頃白石営林署のB5課長をA5管理官とともに料亭〃のゝ村〃に招待した外、六月初め白石営林署関係者やA5管理官、A4主任ら山形営林署関係者を上山温泉にある月岡ホテルで接待した。また、山交坊平営業所長A12は、五月一一日A1署長がa1駐車場付近の現地に赴いた際に同行したのを始め、五月一七日のA5管理官による検測の際に人夫を提供した上自らも同行した。さらに、山交は六月一八日から同月二二日までの間行われたA6検測においても、山交経営のセントラルロッジに宿泊させ、検測に必要な人夫、車を提供し、酒類の接待をした。

13  ところで、白石営林署は昭和三二年頃以降蔵王地区において貸付申請があった場合には、宮城県に対し可否の意向を照会していた。それは県立自然公園であった同地区が国定公園の指定を受ける申請をしたことに配慮したためであった。従前本件の場合を除いて同県が貸付自体に対し反対したことはなかったが、条件を付したことがあり、そのときには白石営林署においては県の意向どおりの条件を付して貸付をした。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  A6検測に至る経緯

甲第一〇〇号証の一ないし六、第三四二号証、乙第二〇号証の一、二、第三六、第三七、第四一号証、第四二、第五二号証の各一、二、第七六号証、第八〇ないし第八二号証、第一二〇号証、第一二一号証の一、二、第一二四号証、第一三九号証、いずれもその方式及び趣旨に照らし真正な公文書であると認めうる乙第一ないし第五号証、いずれも原審証人A6(第一、二回)の証言により成立を認めうる乙第四三ないし第四七号証、原審証人A14(第一、二回)、同A13、同A10、同A1(第一、二回)、同A4、同A6(第一、二回)、同A3、同A5、同A15、同A12の各証言、原審及び当審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  控訴人の社員A14らは五月九日A4永野担当区主任に対し、本件県境を教えてくれるように頼んだところ、A4主任は現地に詳しい元担当区補助員のA13に案内させた。A13は本件登山道が本件県境であると説明した。A4主任はA13の案内に納得のいかない点もあつたがその場では意見を述べず、翌一〇日境界図と基本図を拡げて境界について検討した。

2  A1署長は五月一一日B3社長から山交は山形県内に入って工事をしているのに黙認しているのかと抗議の電話を受け、同日現地確認のためA4主任らを伴ってa1駐車場付近に赴き、現地でA4主任から、A13は本件登山道が県境であると説明したことと、同主任としてはその点を確かめてみたいと思っていることを聞いた。A4主任に対しては境界が本件登山道と一致するかどうか測ってみるように指示したものの、A1署長は、山交の下刈場所が本件登山道よりも北つまり山形県側に位置していたので、山形営林署管内に入っている事実を認めざるをえないとの心境になり、当日の日記に、「坊平の斧立てに行こうと思うとB3からTEL山交は山形署内に入っているのを知っているかと来る現場を見ると入っている刈田の駐車場はバスが一杯である」と記載した(この記載については、A1署長は原審及び刑事公判において「A13の説明どおり登山道が県境であるとすれば、山交の下刈場所は山形県内に入っていることになるのを確認した」ことを記載したのであって、その仮定を抜きにして山形営林署内に入つていると認識したのではないと供述しているが、日記の文面から読む限り、そしてA1署長の五月一一日前後の行動に照らしても、右のような心境になったと認定すべきである)。なお、同日同署長は、白石営林署長に対し、山交の下刈場所が白石営林署管内であるかどうか電話で確認した。

3  A4主任は五月一三日永野担当区備付の境界図及び基本図に基づき、大まかな観測を実施した結果、右資料によれば境界は登山道ではなく、分水嶺に位置しているとの心証を得た。一方、白石営林署も現地に赴き、同署備付の基本図により境界を確認した結果、山交の下刈場所は白石営林署管内であると判断されたとして、A1署長に対し電話でその旨告げた。

4  五月一六日朝、前日から月山スキーに訪れたB9、B14侍従、B9のスキーの相手として随行していたA10常務らと同行していたA2局長は、B14侍従から控訴人リフトの申請をよろしくと頼まれ、当日A1署長に対し、控訴人に国有林野の入林許可を与えるように命じた。そこでA1署長はやむなく控訴人に対し、目的を控訴人リフト計画の現地踏査、入林区域を三九林班、期間を五月一七日から六月一六日までとし、樹木は絶対に伐採又は損傷しないこと等の条件付で入林を許可した。その際、B3社長らはA1署長に対し、山交の下刈場所が山形県内に入っているのに黙認し、便宜をはかっていると強く抗議した。控訴人が帰ったのち、A1署長とA2局長は相談して秋田営林局による検測を実施することにした。A1日記の当日欄に「局長がA15に会って話しを聞き入林顧を受けた全くイヤになった局長も腰が弱い山交を引受けA15を引受けたらどんな事になるかいくら言ってもピンと来ない。やっぱり学者である。腹が据っていれば高松だろうとB14だろうとケトばせるんだが」との記載がある。

5  A5管理官は五月一七日山形営林署として本件境界の検測を実施することにし、同署備付の境界図、空中写真図化図面及びA4主任作成に係る野帳を参照資料として、大まかな計測の結果では本件境界は本件登山道ではなく、一枚石沢と仙人沢との間にある分水嶺であると判断した。

6  五月一七日A10常務が、ついで五月二〇日B3社長、A10常務が山形営林署を訪れ、A1署長に対し、貸付見込書の交付を求めた。A1署長はA2局長不在のため連絡がとれず、局からの指示がなければ貸付見込書は出せないとして断った。

7  その頃、A2局長からの指示で計画課長B15はA6係長に対し、本件境界について検卸するように命じた。検測の手順や方法については、行政区界の確認をする必要はなく、営林署の管轄区界のみに限定して検測を行うように指示している。従って、関係自治体に対する連絡なしに検測を実施した(山形県に対しても公式の通知はしていない)。

以上のように認められる。

五  貸付見込書の交付

甲第二〇、第三四二号証、乙第八〇ないし第八二号証、第一三九号証、原審証人A10、同A1(第一、二回)、同A2、同A5及び同A7の各証言、原審及び当審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  B3社長とA10常務は五月二二日秋田営林局を訪れ、A2局長とA13管理課長に対し、貸付見込書の交付を求めた。これに対し、秋田営林局及び山形営林署はリフト架設のためには従来から貸付しない方針であったので、その方針に従い拒否した。ところが、B3社長とA10常務はA2局長に対し、A1署長を徹底的に弾劾する、これまでの経過を通じて山交に比べ不公平な取扱を受けたことを公表するなどと迫り、強く要求した。そこで、A2局長はその場の事態を収拾するためやB9からの依頼に対する配慮もあって、従来の方針を変更して貸付することを決定し、A13管理課長に命じて貸付見込書を起案させた。

2  ついで、B3社長とA10常務は五月二三日山形営林署を訪れ、A1署長に対し、A2局長から貸付見込書について同意を得たので、発行して貰いたいと要望した。しかし、貸付しないという従来からの方針を維持して行きたいと考えていたA1署長は、山形県の承諾書を貰ってくるように求めたり、秋田営林局の意向を確認したりしてなかなか応じなかったため、双方で激論となったが、結局、秋田営林局のA13管理課長との連絡で局の方針に従い、貸付場所を蔵王国有林三九林班(起点~終点)とし、リフト工事につき必要な所轄行政庁の許可を受ける等の条件を付して貸付見込書を出した。

以上のとおり認められ、原審証人A2の証言中、方針変更理由に関する部分は前掲その余の証拠に対比して採用することはできず、他には右認定を覆すに足りる証拠はない。

第三貸付見込書交付後の経緯

一  A6検測の実施

乙第二九号証の一、二、原審証人A6(第一、二回)の証言によれば、A6係長はB16係員とともに、青森営林局及び白石営林署の担当者立会の上六月一七日から同月二三日まで現地作業を実施し、同月二四日から同月二六日にかけてその成果につき作業報告書を作成したことが認められる。その実施した内容については、次に付加・訂正するほか、原判決理由四4記載(同二一五枚目表初行から同二二八枚目裏一三行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決二一五枚目表四行目の「第三六号証、」の次に「第四三号証の一、二」を挿入する。

2  同二一六枚目表一四行目から同二一七枚目裏一〇行目までを次のとおり改める。

「もっとも、乙第二四号証及び証人B7の証言及び弁論の全趣旨によれば、控訴人の主張するとおり、測量手簿の刈田岳三角点から二八号点までの水平距離については九二・八一間、五六・四五間に七・三六間を加えた一五六・八九間となるが、七・三六間の水平距離と実測距離欄の七・四〇間との数値、九二・八一間と五六・四五間の部分についても高程差との関係につきピタゴラスの定理に反した数値が記載されていることが認められる。この点は、乙第五二号証の二によれば、明治三七年の周囲測量における距離の測定は、間縄、竹尺等を用いて直接測る直接測定法ではなく、トランシットとロット箱尺を用いて測るスタジャ測量によって行われたものであるため、測量手簿の実測距離欄に記載されている数値は、視角読定値にすぎず、誤差が生じやすく、精度も低いものであったから、このような定理に反した数値が記載されたものと認められる。」

3  同二一七枚目裏一三行目の「第三七号証、」の次に「第四三号証の一、二」を挿入し、同二一九枚目裏六行目の「向から」を「向う」に改め、同八行目の「摘要欄の」の次に「峯止ルとの」を挿入し、同末行の「誤りが少ないと認められる」を「経験上誤りが少ないと判断した」に改める。

4  同二二〇枚目表一二行目の「成果と対比したところ」を「成果を用いて対比すると、周囲測量成果の八三号石標の測点位置が実際よりも長く、」と改める。

5  同二二一枚目表五行目の「右経緯距計算簿」から同丁裏初行までを次のとおり改める。

「このような検討の結果、A6係長は経緯距計算簿について誤差を公差内に入らせるため、後から相当手を加え作為したものでないかと推論した。

なお、検測してから相当期間経過後であったが、A6係長は昭和三八年度測定報告会に報告するため、B6測量の手簿につき改ざんの有無等を改めて究明してみた。その結果、経緯距計算簿の最終起点八三号点(一号点)の座標値は、介在民有地の境界査定に引続いて、明治三五年青森営林局において実施した周囲測量の座標値に全く一致しており、これをそのまま引写したものと認められた。そして、右介在民有地の周囲測量の座標値は、測量においては井ノ窪三角点から楢下三角点を基準としながら、座標値計算に当たっては間違って楢下三角点ではなく、宮原三角点を基準として計算したために、誤った数値になっていた。しかし、B6測量官はこれに気付かず誤った数値を正しいものと見ていたので、これに合わせるため測量手簿の数値から約二〇〇メートル離れた誤った八三号点の座標値に一致するように測量手簿を改ざんしたものであると推測できた。更に測量手簿の数値につき記載そのものの様子を子細に観察したところ、いったん記載された数字が数箇所消されて書面されていることが確認できた。」

6  同面九行目の「起点」の前に「経緯距計算簿による検測を断念し、B4査定官の境界査定野簿記哉の記事に基づいて境界点を判定することにした。しかし、右の記事はもともとその後に精確な周囲測量がなされることを予定して、簡易な計測で済ませており、方位についてはコンパスでなく、磁針器を掌に乗せて測定しており、距離についても高低角を測定しないので誤差を生じるものであった。今回の検測の結果においても一号点と二八号点の間で相当大幅な差が生じた。このように、境界査定野簿記載の数値どおりそのまま現地で再現し、連結して測量して行っても、起点の一号点と終点の二八号点との間に収まらず、最終的には終点の二八号点に連結しないことが予想された。一方前記認定のとおり、一号点と二八号点はいずれも確実な基点として検測できることが確認できたので、右境界査定野簿記載の測量成果を図上で再現する方法として次の方法をとることにした。すなわち、」を加える。

7  同二二二枚目表四行目から同二二三枚目表二行目までを次のとおりに改める。

「ところで、前記のとおり、A6検測が行った図上位置決定法は、既往の測量成果を示す基準図(境界線を署備付境界簿記載の方位角及び距離により概測図と同一の縮尺により製図したもの)を右のとおり境界査定野簿に基づいて作成しており、周囲測量による境界簿の成果に基づいては作成できなかった。従って、A6検測が行った図上位置決定法は、昭和八年八計第二三号秋田営林局長通達別記第七項に規定する、既往の測量成果を示す基準図は暑備付境界簿の成果に基づいて記入すべきであるとの規定に準拠していないものと認められる。」

8  同二二四枚目表七行目末尾の次に「なお、一号点から八号点までの各点は、前記(原判決二一九枚目表)のとおり、六月二一日の現地において本件登山道の屈折点を実測した結果と境界査定野薄の方位及び距離の数値がほぼ合致したため、境界査定野簿の方位及び距離の数値どおり図上に決定したといってよい。これに対し、八号点から二七号点の各点については、その方位及び距離の数値どおり図上に決定すれば距離において約五〇メートルもの誤差が生じるので、境界査定野薄の峯界であるとの記事を念頭に置いた上で、最終的には基点である一号点と二八号点に連結できるように境界査定野薄の方位及び距離・現地の地形状況等を総合判断しながら、調整して判定し、図上の位置を決定した。」

9  同二二三枚目表五行目の「第三七及び」を「第三七号証、第四二号証の一、二、」と改め、同二二七枚目裏九行目の「明治」の前に「境界査定野簿記載のとおりの位置に再現されたというべき一号点から八号点までについても、」を、同二二八枚目表一一行目の「変わっている」の次に「可能性がある」をそれぞれ挿入する。

10  同丁裏一三行目の次に改行して次の記述を加える。

「(四) A6検測の報告内容

A6係長が六月二七日秋田営林局計画課長宛に作成した作業報告書(乙第二九号証の二)の要旨は次のとおりである。

A6係長とB16係員両名が、六月一七日から同月二六日までを調査期日として実施し、立会人として青森局測定審査係長B17、白石営林署庶務課長B5、同署担当区主任、山形営林署A5管理官、A4主任らが検測に立会った。調査区間は一号点から二八号点間で、この二点には明治三七年境界査定の際標識を建設してあり、この二点を不動点である基点と認めて調査を実施した。まず、八三号石標(一号点)から八四号点を旧測量成果により検出すると同じ位置に八四号点があり、そこは固定岩石でその項面に十字印、側面に84の番号が彫刻されており、不動点と確認されたので、このことから八三号石標(一号点)も不動点であると判明した。

次に二八号石標は刈田岳三等三角点から旧測量手簿によって二八号点を検出した結果、現地に建設してある二八号石標と一致せず、六九・一八メートルの差を生じた。この石標は転倒してあったものを適宜境界線付近に埋設したものであると前担当区補助員から説明を受け、正位置にないものと判断し、刈田岳三等三角点から連結測量をトランシットによって再検出して、二八号点を決定し基点とした。二八号点から一号点へ旧測量手簿により順次境界点を検出した結果、現地にある一号点(八三号石標)と約二〇〇メートルの差を生じた。

この誤差につき検討したが、計算上では公差内に入っており、この測量手簿、縦横計算簿上からはこの誤りの箇所を見出すことはできなかった。推論するにおそらく誤差を公差内に入らせるため、後から測量手簿に相当手を加え作為したものではないかと思われた。また、八三号点(一号点)よりも南に位置する四八号点からの測量手簿による結果も入れて図上で重ね合わせてみると、四八号点から八三号点(一号点)までの民有地境界線には誤差はなく、一号点から二八号点までの間に誤差があると一応判定できた。以上の経緯から旧測量手簿による検測を断念し査定簿記載の記事に基づいて境界点を判定し求めた。査定簿成果の記事は、一号点ないし八号点間は道路界、八号点ないし二八号点間は峯界になっており、この記事の内容と査定簿成果とを参照しつつ現地に境界点を検出した。

更に追記として、査定簿成果の隣接地籍は郡名・字名とも現在青森局で表示している地籍と相違していたが、この地籍関係(即行政区界)の取調べはなさずあくまで旧査定当時の界線を両局(青森営林局と秋田営林局)の管轄区界として現地に検出し、仮にこの境界線が行政区界線と相違する場合には別個に取扱処理を考えることにして作業を終了したので申し添える。

右のとおりの報告内容であった。

乙第二九号証の一、二によれば、A6測定第二係長起案に係る昭和三八年二一月一〇日付秋田営林局長宛の報告文書は、右とほほ同じ内容であると認められる。」

二  控訴人リフト路線変更の経緯

甲第一、第八、第五二、第三三九、第三四一、第三六二号証、丙第一号証、前掲甲第一〇二号証、原審(第一ないし第三回)及び当審(第二回)検証の結果、原審証人A14(第一、二回)、同A16、同A10、同A17、同A7の各証言、原審及び当番控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  控訴人が一月一〇日新潟陸運局長に対し甲種特殊索道事業免許申請書で記載した路線は、原判決別紙第一図「御釜リフト略図」のピa′↓A′線延長六六〇メートルであったが、この路線は現地では一枚石沢、仙人沢を横断しているため、地上から二メートルまでとする夏山リフトの高さ制限に抵触することになり、架設は事実上不可能であった。控訴人は五月二〇日現地を調査した結果に基づき、日本リフトサービスに検討させ、起終点の位置をa↓A線に一旦変更することを予定したが、さらに同月下旬頃起点をa点からb点にしようとした。しかし、b↓A線はやはり仙人沢にかかることが判明したため、b↓B↓A線を考え一部の下刈もしてみたが、これまた仙人沢にかかっており架設は不可能であった。

2  控訴人は七月二七日国定公園の指定審議に伴う現地調査に訪れたA17厚生省課長補佐らに対し、当初計画したリフト路線は仙人沢にかかり架設不可能であったので変更したと説明した上、予定路線としてc↓C線を書込んだ空中写真図化図面の写に基づき案内した。A17課長補佐はB3社長に対し、景観を保護するため、リフトの終点位置は馬の背台地に至る沢の手前(控訴人の予定終点位置より九〇メートル手前)とすること及び上駅は沢の後方の台地を削って半地下式にするように求めた。

3  ところが、右c↓C線も現地に当て嵌めると仙人沢にかかっていたので、控訴人は八月上旬頃山交リフトと交差せずかつa1駐車場を起点とするリフト路線として′d↓D線を計画し、その後A17課長補佐の指導により主に山頂の終点を下げたことに伴い出発点も下げてd↓D′線を予定し、その前提で下刈工事を進めた。

なお、控訴人は七月二九日新潟陸運局長に対し、当初予定していた終点位置を更に四〇メートル延長するとの起業目論見書変更認可書を提出し、八月二〇日認可を受けた。

4  A7庶務課長は八月二〇日B3社長らに対し、A6検測線によれば当時下刈中の控訴人リフトの起点d点が白石営林署管内に入っていることを告げ、起点を若干下げれば路線を変更せずに山形営林署管内になり新たに仙台陸運局長から索道事業免許を受ける必要もないのでそのようにするよう指導した。そこで、控訴人はやむなく右指導に従い、リフトの起点をd点からe点すなわち北へ約二五メートル、西へ約三〇メートル移動した(この事実は当事者間に争いがない)。

5  山形県土木部計画課技師B18は、八月二一日A7庶務課長と共に控訴人リフト用地測量のため現地認査したところ、前記3の図面上の予定路線であるc↓C線に対照すると、控訴人リフトの終点位置が南方に約三〇メートル移動していたので同路線を了承するわけにはいかないと述べ、了承を求める控訴人側と相当激しい応酬があった。しかし、結論には達せず、A7庶務課長らは控訴人の資材置場と資材運搬道路敷地のみを測量した。

6  山形営林署関係者と県のB18技師らが八月二六日控訴人リフト用地実測のため現地に集まったが、控訴人と山形県との折合がつかずに測量できなかった。

7  B2副知事は九月一六日B3社長と現地で折衝の結果、控訴人リフトの終点位置を予定より五二・八メートル下げた地点とすることに合意し、リフト路線がe↓E線延長六六五メートルにようやく確定した。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、リフト路線変更に関する被控訴人の関与は、A7庶務課長において八月二〇日起点をd点からe点に下げるように指導した事実のみ認められ、そのほかの路線変更については山形県との共謀の点も含め、これを認めることができない。

もっとも、A14証言中にはリフト路線の変更経緯につき控訴人主張に沿う供述部分があり、原審における控訴代表者も概ねこれに符合する供述をしている。しかし、右各供述のうち前記認定に副う部分は採用できるが、それ以外の部分は採用できない。けだし、強要者とされた原審証人A7、同A4のこれを否定する各証言はそれなりに納得させるものがあるほか、路線変更をしたといっても、図面上に明示したのは自らの都合により変更したc↓C線に止まり、下刈によって特定されたd点からe点の起点変更以外の他の路線については外部に明らかにされていないため、路線としていつどのように決定されたのかが詳らかではなく、路線として確立していたと認めるに足りる証拠はない。そして、他に路線変更を強要されたとの控訴人主張事実を認めるだけの証拠はない。

三  工事中止命令の経緯

甲第一九、第二〇、第二八、第二九、第三二、第三四、第四四、第四八号証、第五一ないし第五三号証、第六一ないし第六三号証、第一一六、第三三九、第三四一、第三四二号証、乙第一三九号証、原審証人A18、同A4、同A7、同A19、同A20の各証言、原審及び当審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  A4主任は七月八日控訴人がa1駐車場付近の現地に「御釜リフト建設予定地 北都開発商会」と記載した看板を立てるとともに幅約六メートル、長さ約一四五メートルの範囲に亘って樹木を伐採・刈払したことを見て、山形営林署に連絡した。A7庶務課長は七月九日B3社長に対し右看板の撤去を求め、同人の了承を得たが、その後も撤去されなかったので、さらに同月一三日控訴人事務所を訪れ、B3社長の妻であるA18に対し、右看板を撤去するように伝えた。

2  山形県知事は七月二九日控訴人に対し、保安林内作業について目的をリフト建設のための踏査及び測量として許可したが、作業に当たっては営林署担当係員の指示に従うと共に、立木・下草の伐採・掘起し等の行為が許されていないことを厳に留意するよう許可書に明記した。

3  A7庶務課長らは八月五日現地に赴き控訴人に対し、工事の中止と貸付手続を早急に進めるように申し入れた。しかし、控訴人はこれに従わずかえって同日午後九時頃から未明過ぎまで山形営林署に押掛け、A5管理官らに対し、山交リフトの工事現場は山形営林署管内なのになぜ黙認していたかなどと強く抗議した。B3社長らは国有林寿について貸付を前提とした立入許可あるいは貸付見込書の交付があれば、工事に着手することが許される慣行があると即断し、事実上下刈や整地工事を進めながら貸付申請書を提出していなかったが、結局六日中に国有林野の貸付申請を提出することになった。

4  A5管理官らは八月一九日控訴人に対し貸付手続が完了するまで工事を中止するよう申入れたところ、控訴人も了承して工事を中止した。

5  A4主任が八月二五日巡視中、控訴人が再びブルドーザーを使ってリフト予定地の地均し工事をしているのを見付け、工事を中止するよう申し入れた。しかし、B3社長らはこれに従わず、かえってA4主任を取囲み、国賊・税金泥棒というなどの悪口雑言を浴びせた。

6  白石営林署は八月二七日仙台法務局に対し、A6検測線を基準にして、控訴人のリフト工事箇所が白石営林署管内に入っていると判断し、控訴人に対する立入禁止の仮処分の申請を依頼した。

7  仙台法務局B19検事らは八月二八日現地調査に訪れ、B3社長に対し所定の手続を済ませてから工事を進めるように求めた。山形営林署長は控訴人に対し、リフト路線が正式に決定され関係当局の了解を得るまで工事を中止するよう文書で強く申入れた。山形県も同日控訴人に対し、自然公園法一八条三項、二一条に基づき文書をもってリフト工事の中止及び既に工事済の場所につき原状回復を命じたが、控訴人はこれに従わなかった。

8  宮城県知事は九月四日控訴人に対し、リフト工事場所が宮城県内にあることを前提に自然公園法一八条三項、二一条の規定に基づき中止を命じた。

9  一方控訴人はそのまま工事を続行していたので、山形営林署は九月七日再度文書をもって現段階においては精密測量のための入林許可を与えているのみであるとの理由により、リフト架設工事を中止するように通告した。

以上のとおり認められる。

なお、控訴人は右認定の外に八月九日、一二月、二二日にもA4主任から工事中止命令を受けた旨主張し、これに沿う原審証人A14の証言(第一、二回)があるが、原審証人A4の証言に照らし採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

右の事実によれば、控訴人は最後にリフト工事の中止を命ぜられた九月七日の時点においても、そのリフト用地につき、貸付見込書の交付、精密測量のための立入許可及び保安林内作業許可を受けていたにすぎず、そのいずれにおいても立木、草木の伐採が禁止され、原状変更を伴う工事は一切認められていない。従って、控訴人がリフト工事を行うことは権原のない違法な行為と言わざるをえない。

なお、控訴人は従来山形営林署においては国有林野につき貸付見込書の交付を受けたりあるいは測量のための立入許可を受ければ、事実上工事を容認していたと主張する。しかし、前記第二の三1のとおり山交系の片貝・三郎岳リフトの営業開始が貸付契約前であったことは認められるものの、これをもって右取扱が確立していたとは認めることはできず、また当審検証(第二回)の際に明らかに認識されたとおり一旦破壊されると回復が困難となる本件地域の特徴、つまり高山植物等を保護し景観を維持することがいかに必要であり、且つそれが困難であるかということに鑑みても、かかる取扱に合理性のないことが明らかである。他に右取扱を認めるに足りる証拠はないので、控訴人の右主張は採用できない。

四  リフト工事完成の経緯

甲第六、第一九、第二〇、第二三、第二四号証、第二六ないし第二八号証、第三〇、第三二号証、第三四ないし第三七号証、第四四号証、第四八ないし第五三号証、第五六ないし第五八号証、第六一ないし第六三号証、第一一六、第三三九、第三四一、第三四二、第四一四号証、乙第八一、第一三九号証、前掲甲第一〇二号証、原審証人A14(第一、二回)、同A16、同A10、同A1(第一、二回)、同A2、同A4、同A7、同A19、同A15、同A12、同A20の各証言、原審及び当審控訴代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

1  前記のとおり、控訴人リフトの建設は思うように進捗せず、山形県とのリフト路線の協議も纏まらず、特定もできないまま推移し、山形営林署との貸付契約も一向に進まなかった。

2  そこで、控訴人は九月九日リフト建設に当たり、山形営林署及び山形県から悪質な妨害を受けたとして山形行政監察局に苦情相談を申出ると同時に各新聞に公表し、大きな反響を呼び、県民の関心を集めた。

3  これを契機として山形営林署、白石営林署及び山形県も控訴人リフト建設を認める方向で、できるだけ早期に事態を収拾させようと努めた。

4  控訴人は九月一二日宮城県知事に対し、A6検測線を基準とする限り控訴人リフトの路線の一部が白石営林署管内に入っていることになるため、蔵王国定公園索道事業執行認可申請書を提出し、同日自然公園法一五条三項の規定により山頂停留所の位置については山形県の指示に従うこと等の条件付で認可を受けた。

5  控訴人は九月一六日山形県知事に対し、ようやく協議成立したリフト路線に基づき特別保護地区内工作物新築許可申請書を提出するとともに、「法令を知悉していなかったため法的手続を完了しない内に工事を着手したことは誠に申し訳なく深くお詫びすると共に今後は関係法令を遵守しかつ県の指示に従うことを確約して茲に陳謝いたします」との陳謝状も差し入れた。

6  山形県知事は九月一七日控訴人に対し、右工作物の新築を許可し、同時に八月二八日付で命じた工事中止命令についてこれを取消すなどの措置を行った。

7  B3社長は九月一九日A2局長から、貸付契約をする以上従前のわだかまりは水に流して円満にやりたいので陳謝状を提出して貰いたいと予め文案を下書きしたものを渡されて強く要請されたので、できるだけ早く貸付を受けるためやむなくこれに応じ、山形営林署長宛の陳謝状を作成するとともに山形行政監察局に対して行った苦情申立の取下も約束した。同日山形営林署は控訴人リフトの路線用地を測量した上、秋田営林局に対し保安林解除上申のために徹夜作業で図面等の書類を調えた。

8  山形営林署は九月二〇日秋田営林局に保安林解除の申請書類を上申するとともに、控訴人提出にかかる保安林内作業許可申請に対する意見書下付申請書に対して「当保安林の作業は控訴人で御釜リフト建設用資材置場及び運搬用の軽索敷としょうとするものであり、工作物の新築許可を得て工事準備をしようとするもので施行時期が切迫しているので事情止むを得ないものと認められる」との意見を付けて交付し、同日以降控訴人リフトの工事を事実上認めた。

9  山形営林署は九月二一日控訴人に対し八月六日付国有林野貸付申請につき、保安林指定の解除を待って貸付ける旨通知した。当日、控訴人は山形行政監察局に対する苦情申立を取下げ、一〇月一九日改めて苦情申立をした。

10  白石営林署は一一月二一日控訴人に対し、刈田岳国有林第五六林班い小林班につき、リフト敷設を目的とする九月五日付貸付申請による契約を早急に締結されたい旨通知し、一一月二六日管轄区界線がA6検測線である前提で測量の上面積一七二三平方メートルの国有林野につき貸付契約を締結した。

11  控訴人は昭和三九年一月一八日山形営林署に対し、無権原使用期間中の賠償金を納入した上で貸付契約を締結し、ようやく同年春以降本式に工事を進め、同年六月六日営業を開始した。これに対し、山交は、本件県境についての従前の取扱からすれば、リフト工事箇所の大半が山形県内に入っていたのに、山形、白石両営林署から何の規制も咎めも受けずに順調に工事を進め、昭和三八年七月末にリフトを完成させ、八月一日には営業を開始したのは前認定のとおりである。

以上のとおり認められる。

第四申請不受理の不当性

一  国有林野貸付の法的性質

控訴人が貸付申請をした国有林野が行政財産であることは、当事者間に争いがない。本件は昭和三八年中の貸付であるから昭和三九年法律第一三〇号による改正前の国有財産法(以下、単に「国有財産法」という)が適用されるところ、国有林野法七条による国有林野の貸付は、行政財産本来の用途・目的を妨げない限度において国が財産権の主体として相手方と対等の地位に立って行う私法上の賃貸借関係と解される。けだし、国有財産法は、行政財産につき使用または収益させる場合には普通財産の貸付等に関する規定を準用し(同法一八、一九条)、この場合、行政財産はその用途又は目的を妨げない限度において、私法上の使用権の設定を妨げるものでなく、行政財産の使用収益関係も私法上の賃貸借関係であり、普通財産の場合と同様に国有財産法の規定と抵触しない限りにおいて、私法の適用があると解されていたからである。更に国有林野法七条による国有林野の貸付は、その地域的分布の広大さ、その成立の沿革及び所在地域の社会的・経済的事情等の特殊性からして、行政財産であっても地元住民に使用又は収益させることが必要であり、かつ、ある程度の使用又は収益をさせても森林経営の特殊性からして、その行政目的遂行上支障とならない場合がある。これらの点から国有林野の貸付は従来から契約による使用収益が認められ、前記国有財産法の改正により一般的には行政財産の使用収益関係が許可制に改められた(同法一八条三項)のちも、その特例として国有林野法七条、九条、一八条を存置したものと解される。なお、控訴人指摘のとおり国有林野法施行規則一四条が貸付申請書の提出を、国有林野管理規程二二条が貸付けてはならない場合を、同管理規程取扱細則二九条が調査書作成義務をそれぞれ規定しているが、各規定はいずれも私法上の契約と矛盾するものではないから、この規定があるからといって行政処分と解することはできない。

従って控訴人の行った国有林野の貸付申請は賃貸借契約の申込であり、その受理・不受理はその申込を検討するための準備的段階にすぎないと解すべきである。この場合、控訴人は国民一般の立場で国有林野の貸付申請つまり賃貸借契約の申込をすることになり、これに対して行政庁である山形営林署が法に則り公平に対応すべきことは当然である。しかし、それ以上に控訴人主張の国有林野の貸付が許可という行政処分であることを前提にした立論、すなわち営林署長は国有林野管理規程二二条にいう国土保全上支障あるとされる除外事由がなければ貸付義務があり、右義務に対応する貸付申請権や貸付申請受理義務も認められるという見解は、その余について検討するまでもなく主張自体失当というほかない。

二  申請不受理理由の当否

被控訴人が控訴人に対して本件貸付申請を受理しない理由として説明したのは、競願があるということのほか、前記第二の二6で認定した三点であるので、以下その事情の存否等を検討する。

1  競願の有無

前記のとおりA2局長のいう競願とは、単に山交のB13社長からエコーラインの開通式の際、山交にリフト建設の意向がある旨を打明けられたというだけのことであり、A1署長も、前年の一一月頃山交が国有林野の立入許可申請をなすべき官署は白石営林署であると教示したりしているので、厳密な意味での競合にはならないことを知っていた。現にA2局長もB3社長らと会った一月一〇日には自らA1署長に対し「山交は受付たろうか」と確かめている。もともと先願があれば申請を受理すべきでないとの規程や通達があるとは被控訴人自身主張しておらず、却って、申請の先後のみによって優劣が決まるというような「先願権」はないというのがその主張なのであるから、このことからしても、控訴人の申請を受理しなかったことを正当化することはできない。

2  山形県の道路方式による開発構想

甲第三二六号証、乙第三四号証の一ないし三、第九六、第一〇〇、第一〇一、第一三六号証、丙第二号証、原審証人A19、同A17の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件地域は第一の二で判示したように国定公園指定の申請がなされ特別保護地区となることが予定されていた。厚生省においては、昭和三一年の次官通達で国立公園の特別保護地区及び第一種特別地域内における索道の敷設は原則として認めないものとし、自然公園法に基づく県立自然公園についても右通達の例によるものとしていた。更に、その後の昭和三五年一〇月の都道府県公園主管課長会議においても、厚生省から次の取扱要領により指導がされていた。すなわち、索道等の設置については特に慎重に扱い、原則として「1」特別保護地区(予定地)以外の地域であること、「2」多数の者が自然風景を観賞する場合の主要な眺望対象からはずれていること、「3」主要興味地点への到達ルートとして道路によることが不利な場合、特に道路の新設または改良が甚だしい地貌の変更を伴うために風致を著しく損う場合以外には、索道等の設置を認めないこととしていた。

(二) 山形県においては、昭和三六年三月頃、観光施設整備五ケ年計画の中で、「御釜」を眺望するための蔵王探勝道として控訴人リフトと同じ目的を達するエコーラインから馬の背に至る経路を含む幅三メートルの歩道の建設を構想した。ついで、エコーライン全線が開通した昭和三七年一一月頃a1駐車場から馬の背に至る車道による開発を立案し、県土木部長B20さらにはB1知事自身も日本道路公団東京支社と折衝し、公団からはそのような短区間の観光道路建設は予算の関係上難しいとのことで賛同を得られなかったものの、山形県は当初の計画どおり県独自で歩道を建設する「道路方式」によることを検討していた。

(三) 昭和三八年二月一〇日頃開催された山形・宮城両県合同の国定公園指定準備のための公園計画の打合せ会において、「御釜」を特別保護地区予定地とする蔵王連峰国定公園候補地区域案及び公園計画案が作成され、同月一八日付をもって両県知事から厚生省に送付された。右会合において、山形県は右地域を道路により開発する「道路方式」を提案していたが、同年三月中旬頃宮城県も道路方式を採用することになった。

(四) B1知事は三月二〇日控訴人に対し、控訴人の一月二五日付の工作物新築届出書を郵送により返戻した。そのようにしたのは、風致景観上好ましくないとの理由から山形県立自然公園条例一三条に基づいて工作物の新築を認めないとの趣旨を明らかにするためであった。

一方、宮城県知事は、第二の三9で触れたとおり、四月八日、白石営林署からの照会に対し、「蔵王は国定公園の候補地であり又、当該地域は特別保護地域の予定地であり、充分検討した結果、公園の景観保持上更に輸送能力等から見ても差当り道路建設が適当と認められ、当県としてはこれが具体化につき検討中であるのでこれに副い処置をとられるよう御協力願います。」と文書(乙第一三六号証)で回答した。しかし、白石営林署は四月二七日宮城県知事の右意向を無視するかのように、山交に対し国有林野の貸付を行い、リフト建設が進められるに至ったため、道路のみによる開発を予定していた「道路方式」は宮城県はもとより山形県においても実行できなくなった。

以上によれば、山形・宮城県の「道路方式」は、山形・宮城両県が蔵王連峰の国定公園指定を厚生省に申請していることに伴い、必然的に採用された構想とみるべきである。してみると、山形県のみならず宮城県も道路方式を堅持していたのであるから、控訴人リフトは無論のこと山交リフトにもその建設を認めることはできなかった筈である。なぜなら、いずれかのリフトを認めた場合には、控訴人リフトと山交リフトが僅か約三〇ないし一二〇メートルしか離れておらず、ほぼ同じ地区にあるため、道路方式による開発構想を維持できなくなるのは明らかであったからである。因みに、五月二八日山形県東京事務所からの同県計画課長宛報告に、右指定を審議した自然公園審議会の途中で、特別保護地区予定地に山交リフトの計画が進められていることが明らかになり、問題があるのではないかとの意見も出て国定公園の指定に支障となりかねないとの厚生省係官からの情況説明があったという内容の連絡があった。

それなのに、A1署長・A2局長らは、一月一〇日から貸付見込書を交付した五月二三日までの間、控訴人の貸付申請に対しては道路方式を理由に拒否しながら、他方ではその道路方式を維持できなくなる結果をもたらすことが明らかな山交リフトの建設促進を図る方向で白石営林署長に働きかけているのであり、偏頗な取扱をする意図のあったことは否定できないというべきである。

3  蔵王地区観光資源調査

乙第三五号証の一ないし六、第一三七、第一三八号証、原審証人A2の証言及び弁論の全趣旨によれば、林野庁は二月九日各営林局に対し、国有林野について観光資源の保護と計画的な利用を総合的に進めるための調査予定地の提出を求める通達を出し、秋田営林局はその頃蔵王地区を対象地とすることを正式に決め、三月一日京都大学農学部B21教授に調査を委託し、この委託に基づき同学部林学科造林学研究室助手B22ほか大学院生、学生ら五名が同月七日から約一週間に亘って調査し、同月二二日報告書を作成した上、同月二五日頃秋田営林局にこれを提出したことが認められるが、A11総務部長が控訴人に対し貸付拒否を伝えた二月二日の時点において、秋田営林局が蔵王地区について調査を予定していたと積極的に認定するだけの明確な書類上の裏付はなく、原審証人A11、同A2の各証言も前記の通達前にこの調査を予定していたというのであるから、たやすく信用し難いものである。いずれにしても、右調査の目的・内容等は極く一般的なもので、控訴人リフト架設の当否を検討する上で殆ど意味がなく、A2局長自身、もともと観光資源調査結果を待って検討するとの拒否理由は大して重要ではなかったと証言しているほどである。しかも、控訴人リフトと山交リフトを区別して扱ったりすれば折角の調査結果を生かすことはできなくなり、殆ど無意味となることは明らかであるのに、A1署長・A2局長らは右2で検討したとおり、山交リフトの建設促進には側面から協力していたのである。

そうすると、この点もまたA1署長らが山交を有利に扱うため、控訴人の貸付申請受理を拒否する口実としたものと評価すべきである。

4  山形営林署の管轄権

前記のとおり、A11総務部長は控訴人に貸付拒否を伝えた二月二日に、積雪中のため調査できないが、当該地域が山形営林署管内でないかもしれないと述べた。

しかし、この点は前記認定の白石営林署の取扱のように、まず貸付申請を受理し、そののちに調査を行い、管内でないとなったらその段階で貸付を断るか、あるいは控訴人の方でリフト路線を変更すれば足りるのであるから、受理しない理由には直ちには結び付かない。また、そもそも管内かどうかを検討するためには、控訴人リフトの予定路線の場所を山形営林署の管内図と対照して確認しなければならない筈であるが、当時そのような検討をした形跡は証拠上全く窺われない。

従って、右理由も当時として根拠が薄弱であり、同じく口実とされたにすぎないと見るべきである。

5  まとめ

以上によれば、A2局長・A1署長らが、一月一〇日から五月二三日までの間、控訴人から口頭あるいは申請書を持参した上でなされた控訴人リフト建設のための国有林野の貸付申請に対し、受理しない理由として説明した事情は道路方式による開発構想の点以外は受理することの支障となるものではなく、道路方式構想についてもその維持・実現のためには支障となることの明らかな山交リフトの建設には何らの故障申立をしなかったのであり、後記判示のとおり故意に県境の取扱を変更してまで山交リフトに対する支援・協力の行為に及んでいることも併せ考慮すれば、結局のところ、理由とならないか、その必要のない理由をつけて、控訴人からの申請を体よく断ろうとしてその受理を遷延したことになるのは明らかである。

もとより、前記のとおり、国民の側に貸付請求権というようなものがあるわけではなく、営林署としても申請を受理した以上は必ず貸付をしなければならない義務を負っているのでもないので、申請を受理して公正な審査をした結果、貸付条件を遵守する意識や能力を含む信用性等の点で貸付対象者たる適格がないとの判断に達した場合には、有力者等からの依頼があろうとも、その段階で勇断をもって貸付契約の締結を拒否すればよいのであり、そうしなければならないのである。ところが、A1署長らは、右の如き姑息な理由で申請の受理を拒否ないし遷延し、他方で山交リフトの建設に対しては陰に陽に支援・協力していたのであるから、国家公共の財産の管理運営を委ねられ、公正な事務処理をなすべき責務を負っている者であることを忘れて、偏頗な意図で控訴人からの申請を取扱ったとの非難を免れず、従って右措置は不法行為の要件たる故意行為に該当するというべきである。

念の為に付言すれば、右の如き支援・協力にしても、それ自体の是非を言っているのではなく、事実上競合する申請がある場合であっても、公正な審査をした上でその一方との貸付契約を断り、他方に適格ありと判断したのちのことであれば、他の点で廉潔さに欠けるところがない限り、特に問題とする必要はないと考える。

なお、被控訴人は当時秋田営林局管内で行われていた慣行、すなわち最初は口頭による陳情や打診を受けてこれを審査し、貸付が可能であると確認したのちに初めて申請書を正式に受理するとの慣行に基づいて、控訴人からの申請を取扱ったものであると主張する。

原審証人A1、同A7、同A20の各証言によれば、当時山形営林署では右主張のような取扱をしていたようにも窺われる。しかし、他方甲第三一四、第四一四号証により、坊平リフト建設用地の貸付に関して日東金属及び山交から出された各申請を受付けた上、日東金属には貸付しなかったことが認められる点や、白石営林署にはそのような慣行はなかった事実と対比すると、慣行として存在していたとまで言いうるかは疑問がある。その点はさておき、山形営林署において控訴人リフトの貸付申請の内容を口頭で具体的に聴取し、これに基づいて調査したこと自体を認める証拠はなく、B3社長・A10常務に対してもそのような対応すなわち貸付可能かどうか検討したのちに貸付できないから受理しないとしたり、そのような説明をした事実は形跡すら窺われない。従って、右取扱慣行なるものに基づく主張は採用できない。

なお、被控訴人は、国有林野の貸付は私法上の契約であるから、契約の申込の相手方には諾否の回答をする義務はなく、そもそも受理不受理の問題も生じないと主張している。全くの私人間同士の自由な契約の場合であれば、そのように言いうるであろうが、本件においては、受理しなかったことが行政財産の管理についての適正な権限行使から逸脱したことにならないかが問題とされているのである。A1署長らは、控訴人からの貸付申請に対して故意に差別し、受理しなかったのであるから、右の意味での逸脱をしたことになる。

第五「県境移動」による不法行為

一  本件県境と管轄区界の関係

控訴人リフトの付近が秋田営林局山形営林署所轄の山形県上山市大字永野字蔵王山国有林と青森営林局白石営林署所轄の宮城県刈田郡a2町大字開手刈田岳国有林との境界すなわち山形営林署と白石営林署との管轄区界で、しかも上山市とa2町との市町村界、ひいては山形県と宮城県との県境ともなることは、当事者間に争いがない。そして、昭和三八年当時、営林署の管轄区域は、農林省設置法七〇条二項により農林省令で定めるものとされ、農林省組織規程四九条により告示によるとされているところ、山形営林署の管轄区域が山形市一円、上山市一円、東村山郡一円と、白石営林署のそれが白石市一円、刈田郡一円、伊具郡一円と告示されている(乙第九五号証)。

ところで、控訴人は営林局署の管轄区界は自治体の行政区界に従属する旨主張するのに対し、被控訴人は行政機関の管轄区界は当該行政機関内部の事務分掌の地域的区割であるから、必ずしも行政区界と一致すべきものではなく、当該行政機関の沿革や内部事情に応じて行政区界とは別個独立して定められており、管轄区界は行政区界に従属するものとはされていないと主張する。

しかし、管轄区界が行政区界に「従属」しているのかどうかの詮索は、表現の問題にすぎないとも言いうるのであり、山形営林署・白石営林署の管轄区界が自治体の行政区域によって示されている以上、本件の管轄区界が行政区界である本件県境と乖離しているのでなかったのは明らかである。

しかも、昭和三八年九月頃までは秋田営林局、山形営林署においても、A7庶務課長がA6検測の結果に従って本件境界を判断して控訴人リフトの起点を下げないと仙台陸運局長の事業認可が必要であると指導した(この事実は当事者間に争いがない)事実に明らかなように、管轄区界と県境とが別異のものであるとは認識しておらず、それ故右検測の対象としていた境界とは、両者が一致した境界を意味していたことに外ならないというべきである。加えて原審証人A1(第一回)においても、本件地域における営林署・担当区の境すなわち管轄区界は県境であるというのは営林署職員の間では常識であったと証言している。さらに検測をした目的は、控訴人リフト貸付の所轄がどこかという問題だけではなく、むしろ山交が山形営林署管内において無断でリフト工事をしているのではないか、山形県内であれば宮城県と違って県立自然公園条例の届出、保安林解除がない限り、工事できないことになるが、そうであればこの事態に対していかなる措置をとるかという問題であった筈であるから、県境として計測しない限り検測の目的を達成できないのである。従って、A6検測等が管轄区界のみを再現した趣旨であるとの被控訴人の主張は、本件の実態とは全く掛離れており、到底採用できない。

二  従来認識されていた本件境界の位置

1  境界紛争の有無

弁論の全趣旨によれば、B3社長がA1署長に対し山交リフトの工事箇所が山形営林署管内であると抗議した昭和三八年五月一一日まで、山形県と宮城県、上山市とa2町或いは山形営林署と白石営林署との間には、本件境界について何らの紛争もなく、また行政区界としての本件県境と営林署の管轄区界としての境界とは当然一致しているとして認識・管理されていたことが認められる。なお、以下にいう分水嶺とは当時者の主張する分水界の趣旨も含むものとして用いることとする。

ところで、甲第三三〇号証、第三四一号証、第三八二号証の一、弁論の全趣旨によれば、本件境界については、昭和三八年一〇月頃本件をめぐる報道に端を発して、上山市とa2町、山形県と宮城県との間に本件県境が本件登山道であるかそれとも分水嶺であるかについて、紛争が生じ、昭和五四年一〇月三〇日に至ってようやく自治大臣の裁定により行政区界としての本件県境が確定したことが認められる。従って、普通に言われる境界確定紛争としては、それによって既に確定しているのであって、行政区界としての境界は原判決別紙第二図の自治大臣裁定線になる。

本件訴訟は不法行為を理由とする損害賠償請求であって、境界それ自体の確定を求める訴訟ではないから、境界の問題は、県境移動行為の有無を問う前提として、第一に、本件境界付近で行われている山交リフト工事箇所が山形県内すなわち山形営林署管内であれば、山交からは何らの貸付申請もなく、もちろん保安林指定解除・山形県自然保護条例一三条一項による届出もないまま、国有林野内で不法な工事をしていることになる点であり、第二に控訴人がリフト架設のために貸付を受けることを予定する土地の管轄がどこかという点にある。そうすると、本件境界について何らの疑義もなかった五月一一日以前の時点において、山形県・宮城県、上山市・a2町等の関係自治体、住民や営林署等の行政機関によって社会的・行政的に認知され、取扱われていた境界線が重要なものとなるので、以下この意味での本件境界を検討する。

2  五万分の一地形図

(一) 地形図上の表示

国土地理院の前身である旧陸地測量部が明治四四年に測図し大正元年に発行した五万分の一の上ノ山旧地形図(甲第八九号証)には、本件境界付近にも県境線が引かれていることは、当事者間に争いがない。甲第八八、第八九、第三二八、第三三四、第三四九、第三五一、第三五五号証、乙第一三号証、いずれも当審証人A21の証言により成立を認めうる甲第三五〇(原本の存在も含む)、第三五二、第三五三号証、いずれも弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第三五四号証(原本の存在も含む)及び乙第六八号証の一、二、原審証人B7及び当審証人A21の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

右地形図は、その後昭和六年要部修正測図、昭和二八年応急修正、昭和三八年文科修正(有料道路)が行われ、その都度修正版が発行されたが、本件境界付近の県境線の描示は修正されたことがなく、終始同じである。

右各地形図によれば、本件県境線は本件登山道と一致していることを示していると認められる。すなわち、本件紛争地域は、五万分の一地形図では本件登山道と本件県境線の関係は】】】と描かれ、本件登山道の北側に〇・二ミリメートルの間隔をおいて本件県境線が表示され、その境界線を示す四角形の道路側の二角の突片が省略されている。ところで、県界と道路との関係は、図式上次のように表示することになっている。つまり明治四四年四月地形科長命令二四号により示された地形測図実行法の適用基準によると、県界と道路とが合一するときは、〇・二ミリメートルの白部を残して便宜一縁線外にこれを描くと定められており、ついで地形図図式詳解(甲第三四九号証)の第七七、第七八の定めでは、道路と境界線が一致するときは、図示された道路のどちらかの側に適宜〇・二ミリメートルの間隔をあけて境界線を表示し、その境界線を示す四角形の道路側の二角の突片を省略することになる。

右の図式上の定めを本件紛争地域に当て嵌めると、五万分の一地形図の前記表示からは本件県境線と本件登山道とは一致していることになる。

更に甲第三二八号証及び弁論の全趣旨によれば、国土地理院長が昭和四一年八月二三日上山市長からの照会に対し、本件境界付近の地形図式上の表示から判断すると測量当時においては境界が小径と一致していたものと思われると回答した事実が認められる。もっとも、前掲乙第六八号証の一、二によれば、国土地理院長は昭和四一年五月二五日a2町長からの照会に対し、五万分の一地形図に記入されている境界線を現地に具体的に現示することは、その精度上から不可能であると思料されると回答しており、一見相反するようであるが、問題は本件県境と本件登山道との相互関係であって、地形図上の本件県境の位置そのものではないから、両者が一致していれば、現地にある本件登山道の位置により本件県境線の位置が十分特定でき、再現できることは明らかであるから、前記二つの回答に矛盾はない。

なお、この点に関する被控訴人主張は次のとおりいずれも採用できない。

まず、指摘のとおり地形図図式詳解(甲第三四九号証)の第七七は、境界線が線状物体に沿う場合はその一方の突出部を省く旨、第七八は、境界線が線状物体と一致する場合は〇・二ミリメートル離してどちらかの側に表示する旨、それぞれ別個の条項によって規定していると認められる。しかしながら、前掲甲第三五三号証及び国土地理院地図編集課長等を歴任した当審証人A21の証言によれば、被控訴人指摘の地形図図式詳解の規定に拠りながら地形図式上から判断すると、本件登山道そのものが県界であったと読取ることができるというのであるから、右各条項を個別に適用すべきであるとの被控訴人の主張は採用できない。

次に、右証人A21の証言によれば、右地形図上の等高線に基づいて分水嶺を引くと、二八号点に相当するa3村・a4村・a2村の三村界は馬の背上約六〇〇メートル北方の地点に移動してしまうことが認められる。被控訴人の主張は、このような不一致が生じるのは地形図上の等高線が現地に合っていなかったためで、逆に地形図上の二八号点に合わせてフリーハンドで記入する時は、被控訴人のいう実際の県境(A6検測線)は本件登山道から五万分の一の縮尺で最大三ミリメートル、その他は一ないし二ミリメートルしか離れていないから、当然登山道に沿わせた形で表示するしかないというのである。しかし、ここで問題としているのは、地形図式上からして本件登山道そのものが県界であったと読取ることができるかであって、地形図上の等高線や位置を問題としているわけではないから、位置関係を前提とする被控訴人の右主張は、理由がない。

(二) 地形図の作成経過

甲第三二八号証、前掲乙第六八号証の一、二、乙第九八号証、弁論の全趣旨によれば、地形図に本件境界を描示した経過は、次のとおりであると認められる。

旧陸地測量部の内部規程として定められた地形測量実行法一三二条一項には「境界ハ成シ得ル限リ正確ノ方法ニョリ描入シ関係市町村長或ハ其ノ代表者ヲシテ確認セシムルモノトス」と、同四項には「関係市町村役場遠隔シ立会不能ノ場合或ハ蔭藪山地ニシテ立会スルモ境界ヲ指示シ能ハサル場合等ニアリテハ前者ハ各個ニ調査シ其ノ合一ニ依リテ描入シ後者ハ便宜ノ場所ニ関係市町村吏ト会合シ携帯セシメタル市町村図ト原図トヲ対照シ疑惑ナキトキ或ハ原図ヲ示シ境界ノ通過点ヲ指示シ得タルトキハ摘入ス但シ役場ノ位置或ハ地形ノ状況ニ依リ測量者役場ニ出頭シ或ハ要旨ヲ示シテ境界ノ要図ヲ徴スル等適宜ノ措置ヲ採ルコトアリ」とそれぞれ規定されていた。明治四四年に本件地形図を測図するについても、ここに定める方法に基づいて行ったと推測されるが、国土地理院に保存されていた本件境界付近の県境線の描示に関する資料が戦災により焼失しているので、具体的な描入経過は不明である。しかし、五万分の一地形図上の本件県境につき、国土地理院長は、昭和四一年五月二五日a2町長からの照会に対し「地形測量実行法に基づいて関係市町村の代表立会、確認を得て市町村界の描示を行ったと推定する」と、ついで同年八月二三日上山市長からの照会に対し「測量時に隣接市町村の合意があったものと解される」とそれぞれ書面で回答した事実に、同条五項によれば関係市町村の主張する境界が合一しないとき若しくは未定界争論中にあるものについては境界線を描入しないと定められていることを併せ考慮すると、境界線が摘入されている以上、本件境界付近の県境線については、関係市町村つまりa3村とa2村との間に争論なく、双方の主張の境界が合一であったと推認すべきである。更に、陸地測量部が測量を実施することについて、a3村役場が明治三一年七月地区住民総代に対し立会等の協力を依頼した文書(前掲甲第三五四号証)が残っている事実からも、a3村が右測量に積極的に協力したであろうと思われる。

してみれば、右地形図には本件登山道に一致した本件県境線が描入されていることが認められ、ひいては明治四四年作成当時のa2村及びa3村がそのような指示をした可能性が高いものと認められる。

(三) その後の修正作業と関係市町村の回答

五万分の一の地形図が修正されるときにはその都度関係市町村に行政区界の変更の有無につき照会するとされていることは、当事者間に争いがない。甲第一三五号証の一ないし七、第一三六号証の二によれば、陸地測量部及び国土地理院に対し、a3村・a2村(後に町となった)は次のとおり回答したと認められる。a3村は昭和六年「明治三十四年以降町村境界ノ変更ナシ」と、a2村は昭和八年陸軍測量官宛に「本村界明治四拾壱年後変更箇所無之侯也」とそれぞれ回答した。そして、前記のとおり本件境界紛争の生じた後である昭和三九年一月に、a2町長は「昭和二二年以降隣接市町村との境界に変更はない。現在の境界は国土地理院発行の五万分の一の地形図に表示されている境界のとおりである」と回答している。

右の事実からすれば、本件県境の隣接市町村である上山市に合併前のa3村とa2村(後に町となった)は、双方ともに五万分の一の地形図に表示されている県境の位置につき、異論を唱えず、了承していたものと認められる。

もっとも、被控訴人は「1」右地形図に描入された境界線は、本件登山道か分水嶺かによって地図上一ないし三ミリメートルの違いしかなく、当時a2町及びa3村が現地に対応して判別できる筈がない、「2」行政区界の争いに五万分の一の地形図を持出すことはその精度に照らして適切ではない等と主張する。しかし、「1」本件で問題となるのは、係争地域において地形図式上の表示からみて本件登山道と本件県境線が一致していると判断できるかどうかであり、「2」a2町及びa3村が指示すべきは右の意味で登山道と県境が一致したかどうかであって、具体的な境界線そのものではないから十分判別可能であるというべく、被控訴人の主張は採用できない。また、乙第九二号証の一、二、第九三号証の一及び弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認めうる乙第九三号証の二によれば、山形県土木部計画課が昭和三八年一一月二一日、明治四四年測図の五万分の一地形図の作成当時、測量係であったB23に対し事情を聴取したところ、同人は蔵王の県境は大体尾根伝いになっていたと思うが、刈田岳から南の方の屋根が不明確であった気がすると述べたとの報告がなされているが、他方右報告では同人が病気で記憶がはっきりしない、測量した時の野帳・メモ・図面等の資料は何も残っていないとそれぞれ述べた事実が認められることに照らし、本件県境につき同人が具体的な記憶に基づいて述べているとは認め難く、従って前記認定を左右するものではない。

(四) 五万分の一地形図の持つ意味

以上によれば、五万分の一地形図式上から判断すると、本件県境と本件登山道とは一致していたものというべきである。ところで、原審証人A6(第二回)の証言及び弁論の全趣旨によれば、A6検測において再現の資料としたB4査定官の査定成果である境界査定野簿、B6測量官の周囲測量成果である測量手簿は、いずれも秋田営林局内部の資料であり、関係市町村に送付しておらず、従って今回A6検測の結果を表明するまでは秋田営林局・山形営林署内部を除いて全く公表されていないことが認められる。

一方、国土地理院発行の五万分の一地形図が一般に販売され、通用していることは、公知の事実である。例えば、甲第一三〇、第一三一号証、第一七一ないし一七四号証、第一七六、第一七七号証及びいずれも弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一七五号証、第三八八号証の一、二によれば、本件においても五万分の一地形図を基にして、昭和二六年一二月にはa3村全図が作成されたほか、a2町図が作成され、また、営林局においても秋田営林局山形営林署山形事業区計画図を、宮城県・山形県共同で昭和三七年一一月一日発行に係る国定公園候補地蔵王連峰案内地図をそれぞれ作成し、利用していることが認められる。

してみれば、本件において行政区界の関係自治体である山形県と宮城県、上山市とa2町始め、他の営林局以外の行政機関、本件の関連でいえば陸運局等も五万分の一地形図をもって行政区界としての本件県境を認識・判断するほかに方法がない。そして、以下に検討するように、右に反する管理・措置をした事実が窺えず、かえって道路の指定・維持を始めとする行政措置はこの認定を裏付けるものというべきである。

もっとも、被控訴人はこの一帯が経済的価値の低い地域であったため、関係市町村は行政区界である本件県境について無関心であり、積極的に五万分の一地形図の県境線を承認していたわけではない旨主張する。原審証人A6(第二回)の証言、当審(第二回)検証の結果によれば、本件県境付近一帯は国有地であって、標高一七〇〇メートルにも及ぶ高山地帯であるため、植林や林産物等の生産もなく、一般的には経済的価値の低い地域であると認められる。しかし、甲第一六七、第三一三号証(その一部は甲第三三〇号証と同じ)及び当審証人A22の証言によれば、本件登山道の帰属いかんにより地方交付金の算定資料となる道路の延長線及びその面積が異なってくるほか、古くから刈田岳頂上にある刈田嶺神社は山岳信仰の対象であって、本件登山道は山形県側からの参道として重要な役割を果たしていたと認められるから、a2村(後に町となった)についてはともかくとして、この管理・措置をめぐってさほどの関心が寄せられていなかったとは断定できず、少なくともa3村・上山市としては十分な関心を持ってきたというべきである。

3  本件登山道の道路認定と維持管理

(一) 本件登山道の道路認定

上山市に保管されている「道路現況台帳」の蔵王大山線には起点を「清水」、終点を「蔵王山宮城県界」、総延長三四〇〇メートルと記載されていること、蔵王大山線が昭和二九年一〇月一日a3村が上山市となるに及び市道に認定され、さらに昭和三五年五月二〇日「蔵王山上山停車場線」として山形県道に認定されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

甲第一一九、第一二四号証、第一二五、第一二六号証の各一、二、第一二七、第一三〇号証、第二七〇ないし第二七三号証、第三〇六ないし第三〇八号証、甲第二七〇号証から成立を認めうる甲第九四号証、いずれもその方式及び趣旨に照らし真正な公文書と認めうる甲第一一八号証及び第一二〇ないし第一二三号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一二九号証、原審証人A23(第一、二回)、同A24及び同A25の各証言によれば、次の各事実が認められる。

(1) 本件登山道は刈田嶺神社に向かう参道として利用されてきたが、道路法が制定されてまもない大正九年三月二七日村道蔵王大山線の一部として道路認定された。

もっとも、右道路認定手続についての資料は現存していないため、告示等の手続は詳らかではない。しかし、道路台帳に記載され、村道として認定されたことを前提として、市道・県道に認定され、右認定に際してはそれぞれ所定の議決・告示の手続を経ていることは明らかであるので、大正九年三月二七日から道路としてa3村の村道として認定され、引続いて上山市の市道、山形県の県道としてそれぞれ認定されてきたというべきである。

(2) 次に、蔵王大山線の終点を判断するに、前記各証拠によれば次の事実が認められる。

昭和二四年頃当時のa3村村長からa3村内の総ての村道・県道について、その位置・延長・幅員等の測量を依頼された土地測量士のB24が、昭和二七年四月a3村全図(甲第九四号証)を作成しているが、その際、蔵王大山線のみ実測せず五万分の一地形図上で清水から本件登山道が馬の背と交差する点までの区間であるとして図上測量を行って、延長三四〇〇メートルと求め、かつそのままa3村全図に蔵王大山線として表示した。しかも、右a3村全図は五万分の一地形図に基づいて作成されたため、当然のことながら右図上で見る限り本件登山道と本件境界とは一致し、本件登山道が馬の背と交差する箇所から先の刈田嶺神社に向かう部分は宮城県内に入るので、右交差する点が宮城県界となり、終点と判断された。そこで、B24は右蔵王大山線の終点である「蔵王山宮城県界」を本件登山道が馬の背と交差する点であるとし、右a3村全図にそのとおり表示した。そして、当時a3村の村長らの行政担当者も、そのように認識し、指示していた。ここに、書類上においても、蔵王大山線は本件登山道を含む起点・終点、延長三四〇〇メートルの道路として認定されたことが明らかとなった。それ以降、昭和二九年一〇月一日上山市道に、昭和三五年五月二〇日山形県道にそれぞれ所定の手続を経て認定された。

また、甲第一二五号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、県道認定に当たって、山形県知事が昭和三四年一二月四日秋田営林局長に対し「山形、宮城両県に跨る蔵王連峰の刈田岳に達する貴職管理に係る芳刈林道の一部と刈田峯歩道(原文では林道と誤記されている)とを今後県道として路線認定し、宮城県において既に認定済である県道刈田岳青根線と連絡させたいので貴意を得たい」と照会したこと、これを受けて秋田営林局長は翌三五年一月二二日山形県知事に対し、林道を県道とする路線認定については異議がないと回答し、右回答中に「なお上山市道についてはその土地を上山市長に貸し付け中ですから御了知下さい」と注記したことが認められる。右事実も、蔵王大山線が本件登山道を含む起点・終点、延長三四〇〇メートルの県道として認定されたことと合致しており、これを裏付けるというべきである。

これに対し、蔵王大山線の終点である「蔵王山宮城県界」につき、被控訴人の主張は、清水からの登山道が県界に初めて達するのは御田神であり、馬の背からの登山道は宮城県との県境に沿う刈田嶺神社方向と熊野岳方向に二つに分かれるからどちらをもって終点にするか判別できないので、右御田神が終点になるというのである。しかし、前掲甲第九四号証及び同甲第一二九号証から認められる、清水から御田神までの距離は約二〇〇〇メートルであるとの事実に照らし、右主張は前記道路台帳にある延長三四〇〇メートルとは全く符号せず、採用できない。

してみれば、右蔵王大山線の終点である「蔵王山宮城県界」とは、本件登山道が馬の背と交差する点であると認められる。

(二) 本件登山道の維持管理

上山市が本件登山道の維持管理の費用を支出してきたことは、当事者間に争いがない。甲第一四四号証の一、二、第一四五、第一四六号証の各一ないし三、第一四七、第一四八号証の各一、二、第一四九号証の一ないし四、第一五〇号証の一ないし三、第一五一ないし第一五六号証の各一、二、第一六七ないし第一六九号証、第一八〇号証、第一八一号証の一、二、第一八二号証、第二四二ないし第二四四号証、第三〇九、第三一三号証、いずれも弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一五七ないし第一六一号証、原審証人A26(第一、二回)、同A27、同A13及び同A23(第一、二回)の各証言、原審検証の結果(第一ないし第三回)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

刈田嶺神社は奈良時代に開設されたといわれ、参拝のための登山道は盤城国(宮城県)遠刈田口を除き上山廻立口、上山半郷口、宝沢口はいずれも羽前国(山形県)側からの登り口であり、本件登山道の前身である上山廻立口は数百年前に開設され、利用されてきた。当時の参道は、御田神から二四号石標付近までは本件登山道と同じ道筋であったが、そこから右折し直接刈田嶺神社に向かう道筋であった。大正の初め頃、二四号石標付近から一旦馬の背に出て刈田嶺神社に向かう道筋となり、これが本件登山道となった。

明治年間においては、a3村安楽院が本件登山道を管理し、参拝者から道刈銭を徴収したが、a3村が大正九年本件登山道を村道として認定告示し、以降維持管理に当たってきた。また山形営林署も昭和三年以降本件登山道を刈田峯歩道として指定し維持管理を行ってきた(この事実は当事者間に争いがない)。a3村・a5村・a6村の青年団有志は、昭和七年山形営林署永野担当区主任の了承を得て、刈田嶺神社から馬の背、本件登山道を経て清水までの登山道沿いに、青年団の名称や右神社からの距離を刻した石の道標数十個を設置した。

その後、a3村道を引継いだ上山市は、昭和三〇年から昭和三八年までの間、毎年予算を計上し市議会の議決を得て、中川山岳会に依頼し、本件登山道の補修・整備を行ってきた。

他方、宮城県のa2町側においては、本件登山道を村・町道として認定したことはなく、補修・管理等をした形跡も全く窺われない。

そして、国から地方公共団体に対する交付金の算定をする際、道路延長とその面積が基準とされ、本件登山道は従来から上山市の道路として扱われてきたが、これに対しa2町では何らの異議も唱えずに経過してきた。

(三) 右の事実によれば、本件登山道のうち少なくとも八三号石標から二四号石標付近までは、数百年前から山形県側においてのみ利用されるとともに、維持・管理され、そのまま道路法による村道・市道・県道として認定告示され、a3村・上山市・山形県の維持・管理するところとなったと認められ、a2村(後に町となった)においてもこの事実を是認してきたというべきである。

4  山形営林署による本件登山道の維持管理・巡視路線の指定

(一) 維持管理

山形営林署が本件登山道を昭和三年「刈田峯歩道」に指定して維持管理してきたこと、営林署の歩道が国有林野の維持管理を目的に設定されることは、いずれも当事者間に争いがない。ところで、甲第一六七号証及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。山形営林署は本件登山道を歩道整理簿に登載し、昭和二六年八月以降同三八年七月までの間、予算を計上し、補修してきた。山形営林署永野担当区においても同様に本件登山道を歩道整理簿に登載し、昭和二八年八月以降同三八年七月までの間、修理費を支出し、補修してきた。また、山形営林署は昭和三三年夏村山農業高校生徒に依頼して本件登山道を実測した。

これに対し、白石営林署において、備付の歩道整理簿に本件登山道を記載したり、管理・補修したりしていた事実を窺わせる証拠はない。

この点につき、被控訴人は営林署による歩道の指定、維持管理と管轄区界とは必ずしも一致しないと主張し、乙第一六号証及び原審証人A9の供述中には、地形的な便宜のため区域外に亘って歩道が指定されている例が挙げられ、右主張に沿う趣旨の供述部分もある。しかし、右の如き例があったとしても、通例は営林署による歩道の指定、維持管理と管轄区界とは一致していると思われるところ、本件において区域外に亘って歩道が指定されることを相当とする地形的事情などの格別の事情は認め難い。更に、前掲各証拠から認められる山形営林署がA6検測のなされた昭和三八年七月以降本件登山道の維持管理を止めた事実は、管轄区界を前提として本件登山道を管理してきたことを示すものというほかない。

右認定の事実に前記の秋田営林局長が昭和三四年一二月に山形県知事に対し、本件登山道を維持管理している前提に立って、右道路を県道に指定するについて異議ないと回答したことをも併せ考えれば、山形営林署は本件登山道を自署管内であると判断し、予算を計上した上、維持管理してきたものというべきである。

(二) 巡視路線の指定

山形営林署が大正年間から巡視路線として本件登山道を指定してきたこと、巡視路線の指定について「線路ハ成ルヘク全区域ヲ通観シ得ヘキ地点ヲ選ミ且保護上ノ街路ヲ拒スヘキ路筋ヲ取ルコトトスヘシ」とし、この「線路ハ之ヲ秘密ニ」することを求めていること(小林区署長及保護区員巡視規程二条)は、当事者間に争いがない。甲第一六七号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第一七〇号証、原審証人A4の証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

担当区主任は、国有林野管理規程第六八条により、常時その担当する区域内の国有林野を巡視しなければならず、巡視に当たっては特に石標等の標識類の保全や国有林内の誤盗伐の防止等に注意し、異常があれば報告する義務があるとされている。巡視路線は、担当区主任の右任務遂行に必要な巡視のために設けられ、巡視路線図はこの巡視路線を表示し、担当区及び営林署に備付けられている。なお、境界の巡視巡検については、一種ないし三種の境界に分けて規程されているところ、本件境界は境界が峰・道路等の明らかな場合の三種となっているので、四年に一回行うとされていた。そして、本件において巡視路線図(甲第一七〇号証)上には、管轄区界の境界に沿って本件登山道が表示されている。

右の事実によれば、担当区主任が巡視するのは担当する区域内であり、右巡視路線図の表示にも本件登山道は本件境界と一致しているとされていることから、永野担当区においても、本件登山道を本件境界であると認識して巡視してきたものというべきである。

5  営林局署の作成保有する各図面

(一) 基本図(乙第一一八号証)

(1) 甲第三九二号証(その一部は乙第一四四号証と同じ)、乙第一一八号証、第一二一号証の一、第一四二、第一四三号証、前掲乙第二ないし四号証、原審証人A9の証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

乙第一一八号証は、秋田営林局備付の山形営林署山形事業区昭和三四年度調査基本図であり、本件登山道は山形営林署の歩道整理簿に登載の歩道として所定の規程に従い朱色の点線で表示されている。秋田営林局の右基本図は従前から継承され編成の都度訂正加除されており、同図の本件登山道の描示が昭和三四年度以降に修正されたことは当事者間に争いがない。修正前の基本図に描入されていた本件登山道は本件境界に沿って表示されていたから、秋田営林局・山形営林署・永野担当区においては、少なくとも昭和三四年までは本件登山道と本件境界がほぼ一致している基本図しかなかった事実は当事者間に争いがないことに帰する。修正後の本件登山道の位置は本件境界線よりもかなり白石営林署側に記入されており、一見して明らかに白石営林署管内に位置していると判断できる。また、白石営林署備付の基本図(乙第一二一号証の一)に記入されている本件境界線も、秋田営林局の右基本図と同じく明治三七年のB6測量官の周囲測量成果によるため図面上一致しているが、本件登山道は描示されていない。

ところで、明治三五年四月制定の国有林業施業案編成規程においては、事業区を設けるに足るべき国有林につき、森林区画・森林調査・収穫予定・造林予定・施業案説明書の調整・施業案の検訂を行い、施業案を編成するが、その前提として森林区画の設計により事業区・林班・小班の各境界及び面積につきそれぞれ測量をなし、その測量後境界図により普通縮尺五千分の一をもって基本図を調整するとされている。このように基本図は営林局署の業務の基となる図面であり、当然のことながら国有林野の管理は基本図に表示された区域で行われてきた。

右基本図は、明治三七年実施のB6の周囲測量成果である境界図(乙第二号証)と符号しているので、この成果をそのまま移記して作成したと推測される。本件登山道が描入された時期は、前記のとおり大正年間に山形小林区署長が本件登山道を巡視線路として指定したことからすると、遅くとも大正年間である。更に、明治三七年のB6周囲測量に先立つB4査定官による測量成果(乙第三号証)によって得られた境界査定図(乙第四号証)には本件境界線にほぼ一致する本件登山道が描示されている。なお、基本図は秋田営林局の外に、これを写した図面が山形営林署・永野担当区にも備付けられている。しかし、本件においては提出されていないので具体的な本件登山道なりの表示は確認できないが、修正される前であれば位置関係は同じである。

右の事実から、山形営林署は、明治三七年のB4査定時の頃から少なくとも昭和三四年度に右基本図の修正されるまでの間においては、右基本図によって国有林業施業案を編成するとともに営林局署としての行政を進めてきたのであり、言換えれば本件登山道と本件県境とはほぼ一致しており、そこに示された区域内が所轄地域であるとの認識に立っていたというべきである。

(2) 次に、乙第一一八号証の基本図においては、従来記入されていた本件境界沿いの本件登山道の点線が削られて、新たに朱色の点線で白石営林署側に摘入されているので、その経緯等につき判断する。

甲第四一四号証、乙第一四六号証の一、二、第一四七、第一四八号証、原審証人A13の証言により成立を認めうる甲第三〇五号証、いずれもその方式及び趣旨に照らし真正な公文書であると認めうる乙第三二号証の一ないし三、原審証人A9、同A13の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

山形営林署は昭和三三年夏村山農業高校生徒に対し、実習として本件登山道を測量させた。その結果作成された野帳に基づき、永野担当区職員A13らは実測図を作成し、これを担当区備付の山形営林署事業区基本図写に嵌入した。秋田営林局の昭和三四年度経営計画編成事業調査において、村山農業高校生徒の実測により本件登山道の位置が違うことが判明したため、その成果に基づいて秋田営林局のA9編成員が局備付の基本図原本に、本件登山道を測点を置いて嵌入し、従前見取り表示していた登山道の点線を削刀で削除した。但し、A6検測の結果と照合すれば、村山農業高校生徒による実測の結果に基づいて新たに記入された本件登山道線は実際の位置と違いがあり、正しくなかった。

右修正の時期について、控訴人は県境問題が生じた昭和三八年九月以降になってからなされたと主張しているが、昭和三四年度に行われたことは、次の各事実から窺うことができる。すなわち、「1」国有林野経営規程二八条によれば、事業図は、経営計画編成の付属図として、事業区ごとに基本図をそのまま縮尺二万分の一に縮図して作成され、地積区分、林相区分等が記号と色彩で表示されると定められている。乙第三二号証の一ないし三は昭和三四年度調整の事業図であるが、同図には乙第一一八号証の基本図と同様に本件登山道が宮城県側に摘入されている。しかるに、右事業図は、編成の都度新しく作成され、副本が林野庁と山形営林署に、その写が永野担当区に備付けられているので、作為することは不可能と考えられる。「2」 また、秋田営林局においては、基本図を空中写真化するに伴い、昭和三六年に従来の基本図総てをマイクロフィルムに撮影して保管した。そこで、本件登山道の表示の位置につき、乙第一一八号証を撮影したマイクロフィルムに写っている基本図原本と乙第一一八号証の基本図と対照すると、全く同じであり、その前後には修正が認められない。

もっとも、前記第二の四認定のA1署長やA4主任らの当時の行動には、乙第一一八号証の基本図と同じ図面によって本件登山道と本件境界との位置関係を確認していた事実とは相容れない点が指摘できる。例えば、「1」A1署長は五月一一日B3社長から抗議の電話を受けて現地を確認したが、その際には山形営林署の基本図を確認しない筈はないと思われる。そうすると、この基本図は乙第一一八号証と同じであれば、本件登山道は明らかに白石営林署管内に入っているから、白石営林署に問合わせたり、その日のA1日記に「現場を見ると入っている」と記載することはありえない。「2」A4主任が五月一三日、ついでA5管理官が同月一七日に、本件登山道が本件境界でないかどうかを確認するために検測をしているが、基本図に修正された本件登山道の実測線の記入があれば、検測をするまでもなく、その位置関係は明らかであるから、わざわざ検測をする必要はない。

このような事情を考慮すると、基本図に修正された本件登山道線が記入されていたといっても、山形営林署内部においても信頼性がそれほど高くなかったと考えられる。

なお、刑事事件における検察官の論告要旨(甲第四一四号証)によれば、永野担当区備付の昭和三四年度調整の山形事業区基本図写には歩道が境界線沿いに赤インクで記入されており、山形営林署備付の昭和三四年度調整の山形事業区基本図副本には八三号位置が記入され、これと関係なく白石営林署管内に亘った歩道記入の部分が更に抹消されていると指摘されていることが認められる。このとおり基本図がそれぞれ異なっているのであれば、やはり営林局署内部においても修正にかかる本件登山道線の信頼性の程度が高くないことを示すものである。

(二) 山形事業区計画図(乙第一〇七号証)

その方式及び趣旨に照らし真正な公文書であると認めうる乙第一〇七号証及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

右計画図は秋田営林局において昭和三五年度調整に係る図面で、本件当時秋田営林局及び山形営林署に備付けられていた。同図は、国土地理院の五万分の一地形図を利用し、営林署の行政上必要な林班界、担当区界、事業区界、営林局界のほか造林事業所、林道事務所等を記入したもので、山形営林署管内を通覧するためにも使用されていた。本件登山道の位置関係は五万分の一地形図と同じであって、本件境界線よりもやや山形営林署側に沿って記入されている。

(三) 境界図(乙第二号証)

前掲乙第二号証、乙第一六〇号証、原審証人A6(第二回)の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

境界図は、国有林野測量規程一四条に定める周囲測量図に該当し、周囲測量成果に基づいて縮尺五千分の一をもって、境界点の位置及び境界線を表示し、国有林の境界を示す図面である。乙第二号証の境界図は山形営林署備付の境界図であって、B25により明治四一年B6測量官の周囲測量成果に基づき作成され、本件境界を含む山形営林署と白石営林署との管轄区界線が表示されている。本件境界線は、「八三号点(一号点)から二四号点」までが側点と共に記入されている。右二四号点はa4村・a3村・a2村の三村界と表示されているので、本件の二八号点を意味する。境界図には本件登山道は描入されていないが、八三号点(一号点)から描かれた境界線を見ると、実際の本件登山道とは異なって八三号地点を通らず、八、九号点付近から左に屈曲しており明らかに違っている。

(四) 境界査定図(乙第四号証)

前掲乙第四号証、乙第一四九号証、原審証人A6(第二回)の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

右境界査定図は、B4査定官の境界査定野薄に基づき縮尺二千五百分の一をもって作成された図面である。

本件境界線に相当する部分は、測量点毎に1から28と番号を付して表示された実線とこれに沿って墨の破線で描かれている。明治三九年五月に定めた国有林野図式によれば、実線は査定境界線を、墨の破線は国界をそれぞれ表示しており、道路の表示である朱色の破線により描かれてはいない。従って、本件登山道は同図面には表示されていないので、本件境界線との関係は図面上からは直ちに判定できない。

(五) 空中写真図化図面(乙第三六号証、乙第二五号証も同じ)

乙第二五、第三六号証及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

右図面は村山経営計画図山形事業区基本図として利用することを予定し、秋田営林局が昭和三七年九月大洋測量株式会社に対して発注し、同三八年一月に納入された。作成の資料としたのは、本件係争地一帯の空中写真と、境界関係については秋田営林局保管に係るB4査定官による境界査定成果及びB6測量官による周囲測量成果を基にしている。そのため、同図には本件県境は本件登山道ではなく、分水界にほぼ沿って表示されている。しかし、この図面は未だ山形営林署・永野担当区では利用されておらず、配布されたかどうかも詳らかではない。

(六) その他の図面

甲第一七九、第三〇三、第四一四号証、甲第三〇三号証により成立を認めうる甲第三〇四号証、原審証人A13の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

永野担当区において昭和一二、一三年以前から補助員の間に渡されていた林相図(甲第三〇四号証)や昭和三八年当時から営林局署の会議等に用いられた蔵王植物分布図(甲第一七九号証)においては、本件県境と本件登山道の位置はほぼ一致して描かれている。

6  本件登山道沿いに存在する二四号石標

甲第一六八、第一六九号証、前掲乙第三、第五号証、乙第一九号証の一、二、第二四号証、第二七ないし第二九号証の各一、二、いずれも弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第四八号証及び第四九号証の一、二、原審(第二、第三回)及び当審(第二回)における検証の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

山形地方検察庁検察官が昭和三九年九月二六日八三号石標から本件登山道沿い馬の背線上の二八号石標までの間を実況見分した際、a1駐車場から馬の背に至る整備された登山道のほぼ中間付近に登山道から約一二メートル離れた沢端に二四号石標が発見された。右石標は、一三センチメートル四方の石柱で、項部に「十」の印、山形県側に「二四」、宮城県側に「山」と刻され、山形営林署作製の正規の標識であって、表面にはこけが付着し、薄黒く変色しており、長年月固定されたものと認められた。右実況見分においては比較的容易に発見されたが、A6検測においては検測結果の二四号点の位置とは約一五〇メートル離れており、発見されなかった。また、B7鑑定の結果によっても、B4査定官の境界査定野薄を再現すると、これとほぼ同様の位置関係にあるとされた。

境界査定野簿によれば、B4査定官が明治三七年の境界査定により新設した境界標は、二八号点の石標一個のみであり、二四号点は新設されていない。測量手簿には境界標設置の記載がなく、B4査定、B6周囲測量の結果を審査したB26山林技手の調査書に「標識建設種類数石標一個」と記載されているに止まり、二四号石標についての記載はない。

永野担当区に保管されていた国有林野境界標柱簿(乙第二七号証の一、二)と標柱検視簿(乙第二八号証の一、二)には、二四号石標に関して次の記載がある。まず、国有林野境界標柱簿には、位置欄に「沢端 中川a2a4村界 県界」、原種類欄に「木」、番号欄に「二四」、沿革棚に「八三番ヨリ起ル明治三五年」改設補修欄に「七年十月改設石」「石」とそれぞれ記載されている。しかし、その隣の欄に二八号石標について「刈田山蔵王山界 宮城山形県界 中川a2a4村界」「石」「明治三七年六月山林局B4」と記載されているから、二つの境界標識は同じ位置にあり、しかも二四号石標に関する記載は、B4査定にはないから説明できない。このような記載がされた理由は、詳らかでないが、永野担当区備付境界図(乙第四九号証の一)の「28」点が誤って「24」と表示されているように、本来境界査定の際の付番による筈なのに周囲測量において省略し、て作図した測点数を数えて記入したためであろう。しかし、二四号石標がいついかなる経緯により設置されたのかは不明である。

次に前記標柱検視簿は、大正五年一二月一九日農商務省訓令第一四号「国有林野及産物管理規程」二一条により作成された法定帳簿である(当事者間に争いがない)大正六年に山形小林区署永野保護区官舎において作成したもので、そこには原標欄に番号「二四」、種類「木」とあり、検視欄に大正六年七月七日平地完全、大正七年一〇月二〇日立替とあり、二八号石標、八三号石標についても記載がある。同規程二一条から二四条には、検視簿に記録すべき事項は境界標等の、所在・国有林名、番号・種類・設置年度、検視の日時・要領、改設の年度種類、補修の年度及び方法等であること、異状のときは直ちに署長に報告すること、毎年一回十二月現在の境界標等につき石標、木標、土塚等の標種の区分に従い、総標数、当該年度改設補修済標数等を小林区署長から大林区署長、同署長から農商務大臣に報告することとそれぞれ定められている。従って、山形営林署においては、昭和二六年農林省訓令一〇六号により国有林野及産物管理規程が廃止されるまで、この取扱が実施されてきた。右廃止に伴い、新たに制定された国有林野管理規程第五条により現在は標柱検視簿に代えて標識巡検簿を担当区事務所に備えて置く旨定められている。

以上のとおり認められる。

してみれば、二四号石標についてはB4査定官の境界査定成果とは一致していないため、どのような経緯で設置されるに至ったのかは詳らかでなく、二八号石標と混同して作製された可能性は否定できない。しかしながら、ともかくも右査定に同行して補助した永野保護区官舎が、自ら正規の境界標であるとして国有林野境界標柱簿及び標柱検視簿に明治三五年設置された旨の記事を書込み、その後もこの標識につき所定の報告をして管理してきたことは事実であるから、この二四号石標の存在及びその永年に亘る管理は、山形営林署・永野担当区において明治年間より、本件県境が本件登山道と一致していたとの前提に立って営林行政を進めてきたことの表れとみることができる。

7  永野担当区の取扱

甲第三〇三号証、前掲甲第三〇四号証、原審証人A14(第一回)、同A13、同A4の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

昭和一一年から約二十数年に亘って永野担当区に勤務していたA13は、本件県境本件登山道であると確信し、境界標識の巡視、境界線、林道その他の施設の保全、盗伐等の防止などの国有林寿管理規程に定める担当区主任の補助を行ってきた。斎蔵新助は、測量についても補助していたので、村山農業高校生による本件登山道の実測結果を野帳から図面化しており、従って測量についてそれなりの知識を有していた。

8  まとめ

以上に基づき、五月一一日に疑義が唱えられる以前に取扱われていた本件県境を考察する、に、まず大半の図面が五万分の一地形図を基にしているためか本件県境と本件登山道はほぼ一致している。これと異なって分水界が本件の県境となっている旨を示すかの如き資料は営林局署に保管されていたB4査定官による査定成果及びこれを検測したB6測量官による周囲測量成果並びに各成果に基づく前記5(三)ないし(五)の図面であるが、いずれの資料も本件紛争が生じたのちに初めて外部に公表されたものであり、一般には全く知られていない。となれば、公表されていた図面では、総て本件県境と本件登山道とがほぼ一致しているから、関係自治体や住民は、これを明示的・意識的に承認していたかどうかは別として、この前提に立っていたわけである。従来上山市が本件登山道の維持管理を行い、国においてこれを交付金の算定基準として取扱ってきたのに対し、a2町や宮城県が何らの異議も唱えていないのは、いわば当然の成行ともいえる。また、県境付近を直接管理している永野担当区は、従来から県境は本件登山道であるとの立場に立って管理しており、上局となる山形営林署、秋田営林局においても同様である。営林局署において普段最も利用されていると思われる基本図が五万分の一地形図に拠っていたのであり、その上本件登山道を巡視路線としたり管内図に表示したりしているから、永年に亘って現場を管理してきた担当区の職員が本件登山道を本件県境として認識していたのはけだし当然である。一方、青森営林局、白石営林署は本件登山道の管理を全くしていなかったし、曾て異論を唱えたこともなかった。ところが、卒然として本件県境についての疑義がA1署長ら山形営林署の側から、しかも自らの所轄範囲を狭めるという極めて異例ともいえる形で提起されたのである。このような経過に鑑みれば、今回A6検測を実施するまでは、県境が本件登山道であることについて、本件県境を挟む山形・宮城の両県、上山市・a2町の首長や住民との間に、さらには営林局暑を含む国の行政機関相互間においても何らの疑義もなく、取扱われてきたと言わざるをえない。従って、五月一一日以降A1署長らによって問題提起がなされるまでは、本件登山道が本件県境であると認識されてきたというべきである。

誤解を避けるために付言すれば、先にも断ったとおり、この当審判決は自治大臣裁定前の真の県境が本件登山道であると認定しているわけではない。この裁定にかかる県境も、建前としては境界の変更や新たな設定をしたというものではない筈であるから、真の意味での県境はどこなのかと問われれば、右裁定の前後を通じて、これにより定められた境界線であるというほかない。

なお、被控訴人は歴史的経過により国絵図に表示されている境界こそ真の県境であると主張している。確かに、弁論の全趣旨によれば、本件県境の沿革を遡れば、江戸時代の出羽国と陸奥国の国境にまで遡及し、この国境が地方自治法五条一項の「従来の区域」による境に相当すると認められる。正保、元禄、天保の各国絵図については、原判決二三七枚目表四行目の「前掲」を削除し、同二三八枚目裏八行目の「得り得べき」を「知り得べき」と、同末行の「注いでおり」を「注いでいる。」と改め、同行目の「結局」から同二三九枚目表初行までを削除するほか、同二三七枚目表四行目から同二三九枚目表初行までのとおりであるから、これを引用する。

しかし、引用にかかる原判決挙示の証拠及び当審証人A22の証言によれば、次の事実が認められる。国絵図の本件県境の表示は曖昧であって境界線そのものを確定することは殆ど不可能であり、分水嶺だとすれば、被控訴人においても一号点から八号点までの本件県境は本件登山道にほぼ一致していることを認めていることに矛盾しており、さらにA6検測により再現されたB4査定成果は原判決別紙第二図のとおりジグザグになっていて分水嶺そのものの線ではない。そして、各国絵図そのものは図書館なりに保管されてはいるものの一般に通用している資料ではない。

これらの事実に照らせば、本件登山道が本件県境として取扱われていたとの前記認定を左右しない。また、乙第一七、第一八号証、第四二号証の一、二及び原審証人A6(第二回)の証言によれば、差出図や官林絵図に県境であれば表示されるべき道路である筈の本件登山道がいずれも表示がされていないことが認められるが、他方右各資料も作成経緯が詳らかでない上に営林署等に保管されていたもので、一般に公開され周知されていたことを認める証拠は全くないから、前記認定を覆すものではない。

三  本件境界に関する被控訴人主張の意味

本件で最大の争点とされてきたのは、A1署長らがA6検測の成果を即営林署の管轄区界であるとして、これに基づいて行政上の措置をしたことの違法性の有無であるが、それと併せて、県境を移動させたことになるのかどうかも争われた。そして、A1署長が訴追された刑事事件をも含めて、A6検測の成果は十分な根拠を有し正しいものであると評価しうるとの理由により、右措置に違法の廉はないというのがそこでの結論であった。しかし、A6検測に根拠があるか否かということを審理の主題に据えたのは妥当ではなかったと考える。

何故なら、ともかくも本件は県境・市町村界の争いが基礎となっている事案である(本件では営林署の管轄区界と市町村界とを別々に観念しえないことについては先に判示した。)ところ、市町村界に関する紛争(地方自治法上の「争論」)が生じた場合には、まず関係自治体の間で、関係地域の歴史や伝統、それぞれの住民感情、双方の地方議会及び自治体幹部の意向や立場、その他複雑に絡み合っている利害や政治的思惑などの調整を含む協議、検討(同法上の「調停」)を行うことになっており、その際に関係資料や測量の結果も参酌されるには相違ないが、それが決定的な意味をもっているとは限らないのであり、ともかくもこのような関係自治体間の協議によって治まる場合と、都道府県知事もしくは中央所管官庁の裁定を俟って決着を見ることになる場合とがあり、知事が右の調停や裁定に適しないと認めたとき及び市町村が裁定を不服として出訴したとき以外は、裁判所がこれに係わることはない。このような定めとなったのは、市町村界の紛争の場合は、私人間の境界紛争のように証拠の優劣だけから結論を導き出すことができるのではなく、右の如き調整や協議を試みさせた方がより妥当な結果が期待できるからである(右出訴があったとき等に裁判所が関与するのは、憲法八一条等の要請を充たす必要と、その段階では既に問題点の整理が終り、対審構造の下での司法審査に親しむ状態になっているからであろう)。まして本件の場合は、紛争発生の機縁と内容は全く異例のものである。すなわち、関係住民や自治体の間に争いがなかったのに、そして、この種紛争は一方がその範域を広げようとするか、他方が越境・侵犯されたとして反発することから発生するのが殆どであるのに、ひとり営林署のみが、しかも本件登山道の線から後退して自己の管轄範囲を狭めようとしたことから始まったのである。それにも拘らず、市町村界の紛争について何故に右の如き確定手続が予定されているのかに留意せず、紛争自体が極めて異例の形となっていることにも着目しないで、営林署の内部的な調査結果にすぎないともいいうるA6検測の成果に根拠があるか否かを主題に据えて審理を行い、事実上県境・市町村界の確定をしたのに等しい結論を示したのは問題であったというべきである。従って、A6検測について検討する必要性はないと言ってもよいのであるが、これまでの審理経過に鑑みて、或程度までこれに触れることとする。

四  A6検測の評価

控訴人はA6検測自体につき、違法な点があると主張するので、判断する。

1  検測の実行権限

(一) 控訴人は、そもそも管轄区界は行政区界によって定まるのであるから、本件境界を決めるべき当事者は上山市とa2町であり、秋田営林局・青森営林局には権限がなく、A6検測自体が違法であると主張する。

乙第二九号証の一、二、原審証人A6(第二回)の証言によれば、次の事実が認められる。A6係長は、事前に資料を検討し、B4査定官による境界査定等の所定の手続が完了しており、今回の検測は、既往の測量成果に基づき境界の位置を再現するもので、国有林野測定規程(昭和三七年八月一五日三七林野計一三〇三号林野庁長官)による区画線測量であり、境界検測の検測要領に準じて行われるものと判断した。

このとおりA6検測自体は新たな境界を定めたり、検測の結果を直ちに行政区界とするわけではないから、権限の問題は生じない。いわば、一般的にある問題について、行政庁が自己の見解を纏めたり問題点の有無・内容を調査するために内部の資料に基づき自由に調査できることと同じであり、当然のことである。

(二) 問題はむしろ、前記の時期に検測を実施しなければならない必然性があったのかどうかということと、実施に踏切った動機や目的がどうかという点にある。第二の四までに判示したところからすれば、秋田営林局がA6係長に検測を命じたのは、A1署長が五月一一日現地を見分した際前記のような心境になり、しかしそのままでは山交に対して工事中止を命じたりしなければならなくなる可能性が生ずるほか、控訴人からの貸付申請を拒否し続けていた従前の対応についても説明に窮する事態を招くことが予想されたので、A4主任に部内資料の一部に基づく予備の検測をさせた結果、山交リフトの工事箇所が白石営林署の管轄区域内となる検測結果の報告を得られる見通しとなったためであり、従って、前記の時期に実施したのは、白石営林署との間に管轄区界についての紛議が生じたというような客観的必然性があったからではないのは明らかである。そして、検測の目的は、これを命じた段階では控訴人に対して貸付見込書を交付することは予定していなかったのであるから、山形・白石両営林署のいずれかが対控訴人の事項を所轄すべきであるかを確定することにあったのではなくて控訴人からの抗議をかわすための資料を作ることにあったというべきである。更にこの問題はA6検測の結果をそのまま県境でもある本件境界に確定したものとして適用し、取扱できるかという点にも結びつくので、このような意味での行政区界としての検測を実施する手続を検討する。

乙第四二号証の一、二、第一六〇号証、原審証人A6(第一、二回)の証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

市町村の行政区界と一致する国有林内部の管轄区界を確定する場合においても、その手続は総て国有林と隣接民有地との境界査定と同様の方法で行われ、この場合にも「境界査定」と呼ばれていた。そして、秋田営林局においては本件境界のような行政区界と一致する管轄区界についても官民地の境界の場合に準じて検測し、境界確定の方法をとっていた。そこで先に官民地の境界についてみると、境界査定、境界確定等が実施されて境界が確定し明らかとなった後、時の経過により現地上判然としなくなった場合であっても、境界が不明確なため国有財産である土地の管理に支障があることは同じであるから、国有財産法三一条の三以下の規定によるべきであると解される。従って、各省各庁の長は境界不判明な場合には隣接地の所有者に対し、立会の場所、立会の日時及びその他必要な事項(境界についての資料等の持参、立会不可能な場合の理由、連絡事項等)を記載した書面で立会期日の一〇日前までに通知し、協議を求めなければならない(同法施行令第一九条の四第二項、同条の二第一項)。市町村の行政区界と一致する国有林内部の管轄区界についても時の経過により現地上判然としなくなったときには土地の管理上支障があることは同じであるから、国有財産法三一条の三以下の規定に準じる取扱をすべきである。

本件についてみれば、前記のとおりA2局長及びA1署長において境界不判明であると判断しているので、本件境界については国有財産法三一条の三以下の規定に準じる取扱をすることになる。原審証人A6(第二回)の証言によれば、リフトの起点の所在いかんによって課税する市町村が異なることが認められるので、本件境界について直接の利害関係を持つことになるのは、上山市とa2町であり、この両自治体をもって隣接地の所有者と看做すべきである。しかるに、前記のとおり上山市とa2町に対し、連絡したり立会を求めたりしていない。

もっとも、被控訴人は、管轄区界内部のことであり再現にすぎないから、そのような連絡、立会の必要はないと主張するが、そのような取扱をすれば、本来行政区界と一致する筈の国有林内部の管轄区界にずれが生ずるおそれがあるばかりでなく、本件のように関係行政機関の各種の許認可を必要とする場合には、所轄や許認可の有無の判断が相違し、矛盾した行政の取扱を招きかねない。しかも連絡し立会を求めたとしても、検測の結果がそのまま市町村界として確定するのではなく、この結果に双方または一方が納得しない場合には境界紛争となり、三の冒頭で説示した手続を経る必要が生ずるのである。因みに甲第三一三号証及び弁論の全趣旨によれば、本件を契機として昭和三八年九月頃以降、上山市とa2町との間で行政区界の県境問題が発生し、山形県議会においても調査委員会が設けられ、国会の場でも取上げられるなど二〇年来の紛争に発展したことが認められる。

2  境界標改設等の手続

A6検測が国有林野測定規程に準じて実施されたこと、A6検測が二八号石標を移設したことは、いずれも当事者間に争いがない。

乙第二九号証の一、二及び原審証人A6(第一、二回)の証言によれば、同人は六月二二日二八号石標は仮埋設されていたと判断した上、正しい位置は六九・一八メートル熊野岳三角点方向に移動した位置であると判定し、埋設されていた二八号石標を掘起して移動し右判定した位置に埋設し直したことが認められる。ところで、同証言によれば、掘起す前の二八号石標は、以前これが倒れているのを見付けてその場所に仮埋設したとの説明があったという。しかし、乙第二九号証の一、二により認められる、移動前の二八号石標の位置は、測量手簿による刈田岳三角点からの連結される線上にほぼ位置している事実や、転倒を発見したという担当区補助員であったB27が本来報告すべき重要事項である筈の二八号石標の転倒を全く報告していない事実に照らして、右説明どおりの事実があったとはにわかに認め難い。かえって、乙第二九号証の一、二添付の写真から窺われる移設前の二八号石標の状態が通常の境界標の埋設状況と変わりはないことからみれば、当初設置されたとおりの位置にあった公算の方が大であるということができる。従って、A6検測の結果により二八号石標を移動させたことは移設になる。

また、原審証人A14、同A7、同A6(第一回)の各証言並びに原審検証の結果(第一ないし第四回)によれば、A6検測において、新たに二号点ないし二七号点に木標を埋設したこと、その後控訴人のリフト工事によりその一部が紛失したため、八月二八日以降改めて六号点から二七号点までにコンクリート標を埋設したことが認められ、これは境界標の増設に該るというべきである。

そして、弁論の全趣旨によれば、A6検測の際、二八号石標を移設したり、境界標を増設したりするについて、着手前及び終了後において、上山市とa2町に連絡していないことが認められる。

右の事実によれば、A6検測は国有林野測定規程一二〇条の連絡を怠ったものというべきである。

3  地籍調査の不実施

当裁判所の認定・判断は、原判決四2(二)(同二〇二枚目表二行目から同二〇三枚目表五行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。但し、その二〇三枚目表五行目末尾の次に「前記のとおり、A6係長は六月二七日付作業報告書中に、査定簿成果の隣接地籍は郡名・字名とも現在青森営林局で表示している地籍と相違していたこと、しかしこの地籍関係(即行政区界)の調査はなさず、あくまで旧査定当時の界線を検出し、仮に行政区界線と相違する場合には別個に取扱処理を考えると明記している事実に照らしても、同人が控訴人主張の意図をもって地籍調査を行わなかったとは、認め難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。」を加える。

4  A6検測が用いた資料の信頼性

この点についても、次に付加・訂正するほか原判決四3(同二〇三枚目表七行目から同二一四枚目裏末行まで)記載のとおりであるから、これを引用する。

(一)原判決二〇四枚目裏末行の「国有林野測量規程」の次に「(明治三三年九月二九日農商務省訓令第三三号)」を挿入し、同二〇五枚目裏末行の「ニツテ」を「ニシテ」と改める。

(二) 同二〇六枚目裏三行目の「いえない。」の次に「もっとも、関係市町村の吏員の立会があったとの点は、その旨の積極的な証拠があるからではなくて規程上当然立会を求めるべきとされ、一方不服や争論があったことを窺わせる形跡がないこと等から、推論できるというのにすぎない。このように、B4査定官による境界査定は、行政区界として確定する上で最も重要な手続である隣接市町村の吏員の立会の有無についてすらこのような推論を重ねるしかなく、少なくとも一義的に明確な資料によって確認できない。要するに、右境界査定の信頼性はその程度のものであるとみるべきである。」を加える。

(三) 同二〇七枚目裏一三行目の「みるのが常識である」を「考えられる」と改める。

(四) 同二一〇枚目表一三行目の「乙第五号証」の次に「、第二〇号証の一、二及び弁論の全趣旨」を、同丁裏末行の「表示は」の次に「「a2村」ではなく」を、同二一一枚目表八行目の「表示」の次に「の意味」をそれぞれ挿入する。

(五) 同二一三枚目表六行目の「また」から同八行目の「できるので、」までを削除する。

(六) 同面一〇行目の次に改行の上、「もっとも、前記のとおり、A6検測は、B6測量官の作成に係る測量手簿、経緯距計算簿、境界簿の成果につき、基本となる測量手簿の数値に改ざんを認めたため、右資料のうち実際に利用したのは、熊町岳三角点と刈田岳三角点から二八号点を測定したことと、二八号点から一号点までの境界点を境界査定簿によって求める際、測量手簿のうち経験上誤りが少ないと判断した高低角の数値を参考にしたのが主なものである。従って、右各資料はA6検測において、その程度の信頼性しかないものとして扱われている。」を加える。

(七) 同二一四枚目表八行目から同丁裏末行までを次のとおりに改める。

「(九) 検測資料のその他の問題点について

乙第五二号証の一、二及び原審証人A6(第二回)の証言によれば、次の事実が認められる。

A6検測において、明治三七年の境界査定を再現する資料としたのは、「1」B4査定官による査定成果として境界査定野薄(乙第三号証)及びその後においてこの測量結果を図化した境界査定図(乙第四号証)であり、「2」B6測量官による周囲測量成果として測量手簿(乙第五号証)、この成果に基づき求めた経緯距計算簿(乙第二〇号証の一、二)及びその後においてこれを図化した境界図(乙第二号証)と管理上の必要から経緯距計算簿を整理した境界簿(乙第一号証)である。右「1」の境界査定野簿等の資料の作成の基となった検測は、現地において境界を査定することに主眼があり、後に精密な周囲測量を予定しているため、計測自体がクリノメーターや間縄を用いて簡便に行われた。水平距離・高低角等は測定せず、方位についても十度前後の誤差があり、概測にすぎなかった。周囲測量は、右の査定から一年以内に速かに行われることになっており、本件においてもB6測量官による周囲測量はB4による境界査定から三ケ月余の明治三七年九月に実施された。

この周囲測量は、査定の結果を正確に計測し、座標値により連結測量によらずに現地の位置を特定しており、いわば正確な現地再現性を持たせるために行われた。営林局署の境界検測は、周囲測量成果による再現を予定しており、それによらずには一義的な意味での再現は不可能であった。今回の検測においても、A6係長は周囲測量成果による再現をするため、右「2」の資料に基づいて再現を試みたが再現できず、結局数値を改ざんしたものと判断して、やむをえず右「1」のB4査定官による境界査定野薄により再現をした。再現に当たっては、境界査定野簿の記載の数値に従って一号点から連結測量すると、終点の二八号点において約五〇メートルもの公差を超える誤差が生じた。そのため、その方法では現地で再現することができず、結果的に図上でこの誤差を修正することになる図上位置決定法によって再現せざるを得なかった。そして、乙第二四号証によれば、B7鑑定人がB4査定官による境界査定野簿に基づき、A6検測と同様に図上位置決定法を採用し、一号点と二八号点の基点間の約五〇メートルの誤差を距離に応じて機械的に配分する手法を用いて再現した結果では、A6検測の再現した線とは原判決別紙第八図のとおりの位置関係にあり、一致していないことが認められる。この事実からも明らかなとおり、本件において右境界査定野薄に基づいて再現しても、境界を一義的に決定することは困難である。

また、甲第三二七号証の一によれば、前記のとおりA6検測が準拠した国有林野測定規程第一二一条三項は、既往の測量が公差を超えた場合には、実地について境界確定時における境界点を判定し、検測終了後、改めて境界測量を行わなければならないと定めている。

しかし、原審証人A6(第二回)の証言によれば、今回の検測終了後、改めて境界測量を行っていないことが認められる。更に、前記のとおり、A6係長は測量手簿につき改ざんされたものと判断したが、そうであれば、既往の測量が公差を超えた場合というに止まらず、既往の測量がもはやなされていないのと同じであると看做して、検測を中止し、同規程二三条以下に定める境界確定の方法をとることも可能であったというべきである。」

5  A6検測の信頼性

前記のとおり、A6検測は、管轄区界のみを目的とすると称して境界検測を行ったため、関係市町村に対する連絡・立会の手続をとることなく、五万分の一地形図ひいてはこれに基づく基本図等も考慮せず、しかも通常であれば再現の最も重要な資料となる測量手簿に改ざんを認めたため、やむなく基点間において公差を超える約五〇メートルの誤差のある境界査定簿に基づき図上位置決定法により再現した。しかもその際、決め手となる二つしかない基点の一方である二八号点について、現地に埋設されていた二八号石標を計測の結果により六九・一八メートルも動かした。このような大まかな検測になったにもかかわらず、検測後においても改めて境界測量をせず、境界確定の方法をとらなかった。

右の事実に前記A6検測の作業報告書中に測量手簿による検測を断念し査定簿記載の記事に基づいて境界点を判定し求めたこと、査定簿成果の記事に、一号点ないし八号点間は道路界、八号点ないし二八号点間は峯界になっており、この記事の内容と査定簿成果とを参照しつつ現地に境界点を検出したと明記されていることを併せ考えれば、A6検測は八号点ないし二八号点間が峯界であるとの前提に立った測量であり、概測にすぎないと評価すべきである。そうすると、昭和三八年六月二七日に検測結果を報告した時点においては、A6検測は本件境界を一義的に再現したものではなく、せいぜい峯界に位置することを確認する程度の信頼性しかなかったといわざるをえない。

6  B7鑑定の意味について

乙第二四、第三〇号証、原審証人B7の証言及び弁論の全趣旨によれば、建設省国土地理院測地部測地第二課長B7は、A1署長に対する公務員職権濫用等被告事件について鑑定を命じられ、昭和四二年八月二八日付の鑑定書を提出したこと、右鑑定書はA6検測がB4査定成果を概ね忠実に再現したものであったことを裏付けるものであったことが認められる。

しかしながら、前記第五の三で説示したとおり、本件においては、営林署の内部的な調査結果にすぎないA6検測の成果を、市町村界の紛争についての確定手続を何ら経ることなく、直ちに本件県境線であるとして取扱ったことこそが問題の焦点であるので、A6検測の成果がB4査定成果を概ね忠実に再現した事実はそれ程意味はなく、ひいてはB7鑑定の持つ意味もその程度のものでしかないというべきである。

五  「県境移動」による不法行為の成否

最初に、県境が移動させられたのかといえば、三の冒頭その他の箇所で述べたように、A1署長らにその権限がなく、必要な手続も履まれていないので、移動をはなかったというべきである。但し、被控訴人が、既に定まっていた営林署の管轄区界を再現したのにすぎないので、県境・市町村界を動かしたりはしていないと主張している点は、本件の場合管轄区界と市町村界とを分けえないことは既述のとおりであり、現在の我国で紛争管所以外に市町村界が未定の箇所はない筈であるから、地形が変わったような場合でない限り、境界の確定は総て再現であることに照らせば、修辞によるすり替えであり、右の判断とは全く異質のものである。市町村界の移動がない以上、これと一致すべき営林署の管轄区界も移動していないのである。

地方自治法の定める調停や裁定によって結論が出るまでは、殊に本件の如く関係自治体の間に何の紛争もなかった場合には、それまで境界として取扱われて来た線に基づいて行政上の措置をするほかなく、そうしなければならないのである。

なお手続履践に関して、以前本件の被告であった山形県の主張によっても明らかな如く、関係自治体の一つである同県の当局は、自らの行政範囲が狭まることになるA6検測の結果を唯々諾々と承認していることからして、右当局者とA1署長との間には、境界移動に関して事前に連絡、打合せのあった可能性が高く、A1の検察官面前調書である甲第三九六号証の一、第四〇七号証はこの裏付となるものであるが、このような事前連絡は正規のものでないばかりでなく、他の自治体に対して連絡していない以上、これを履践したことにならないのは当然である。

A1署長らは、このような境界移動という効果の生じない、所詮は営林署の部内で引かれた一つの線にすぎないA6検測の成果を、あたかも定まった境界であるかのように取扱って種々の行政上の措置をしたのであるから、これが誤った行為であるのは明らかである。そして、もともと右検測には前記第二の四で触れた狙いや意図の下になされたものであるほか、第三の一10の原判決補正箇所で判示したA6係長の報告に、この成果と市町村界との関係についての注意として理解できる記載があり、またそのような記載がなくとも、同署長らは職務上当然に心得ていることであるから(A6係長との事前打合せの際、関係市町村に立会を求めたりしなくてもよいと指示したのは、むしろかかる心得があったことを示すものである)、これは故意に基づく行為として評価すべきである。

なお、被控訴人は、山交リフトが山形営林署管内に入っていても、山形営林署から貸付を受ければ足りるのであるから、同リフトヘの支援協力のためにA6検測などをする必要はないと主張する。

しかしながら、いわゆる先願(優先)主義の下で運用されているのではないとしても、山交が改めて山形営林署に対して貸付申請をせざるをえない事態になれば、それまでの間山交が行って来たりフト工事が貸付申請もなしになされた違法なものであることが明白になると同時に山形営林署の控訴人に対する差別取扱が浮彫にされ、B3社長らから一層強い非難を浴せられることが予想される。従って、被控訴人の右主張は、A1署長らとして、到底とることのできない措置を前提とするものであり、理由がない。

第六包括的不法行為の成否

以上の認定に基づき、A1署長らの一連の行為が故意による包括的不法行為と評価できるかどうか検討する。

本件は、要するに蔵王国定公園内にある山形県と宮城県の県境付近にあるa1駐車場から馬の背に向かう同一地域において、事実上競合して申請された控訴人リフトと山交リフトにつき、営林局署が国有林野の貸付権限を行使する際、権限を濫用して不公正な取扱をしたかどうかの事件である。リフト建設は、その計画から貸付申請の受理、貸付見込書の交付、陸運局長の索道事業免許、県知事の工作物新築許可、貸付契約の締結等の諸手統を経て、工事に着手し、進捗するわけである。そのため本件の経過は昭和三八年一月一〇日の控訴人の口頭による貸付申請から始まって、リフト工事が完成し営業を開始した同三九年六月六日までの長期間に及び、A1署長らの関与した個別の行為も多数回に亘っている。しかし、これらの各行為を取上げてこと細かに論じても余り意味はない。つまり、A1署長らの個々の行為は、これまで各処で述べたとおりその一貫した意図の下になされているので、各個別行為につきそれぞれ吟味しても、かえって本件の特質から離れ実態の究明を難しくするからである。

この見地に立って本件をみると、次のとおりである。先ずはぼ同時期に申請された控訴人リフトと山交リフトにつき、貸付申請の受理、貸付契約の締結、工事認可、工事の進捗、営業開始に至る経過に非常に大きな差異がある。つまり、山交は昭和三八年四月二七日貸付契約を締結して七月末にリフトを完成させ、八月一日には営業を開始したのに対し、控訴人は九月二〇日になって事実上リフト工事が容認され、昭和三九年一月一八日貸付契約を締結して同年春以降本格的に工事を進め、同年六月六日にようやく営業を開始できたのである。

このような事態を生じさせた主因は、既に判示したA1署長らの故意行為、すなわち偏頗な意図で控訴人からの貸付申請を受理しなかったことであり、貸付見込書交付後においても、見込みどおり従来県境として扱われて来た線と異なる再現結果となったA6検測線を利用して、山交リフトを支援しこれが実現に協力する意図の下に、両者に対する取扱に差を設けたことにあるというべきである。そして、六月二二日のA6検測以降、営林署がこれを県境として取扱ったため、山形県・宮城県もこれに追随し、その結果従来の県境取扱によれば大半の工事箇所が山形県内に入っていた山交リフト工事はそのまま進捗し、一方本来山形県内として扱われる筈の控訴人リフトの工事は、宮城県から工事中止を命じられたり、白石営林署から立入禁止仮処分の申請をする旨の通告を受け、右検測では宮城県内となる地域においても工事を行うこととなってそのための所定の手続をとることを余儀なくされたのである。A1署長らの故意による前記行為がなければ、控訴人リフトと山交リフトとの間に工事の進行・営業開始までに至る期間に多少の違いは当然あったにしても、これ程顕著な差異が生じることはないと考えられる。

してみると、A1署長らが昭和三八年一月一〇日から前記判示のとおり方針変更がされた同年九月九日までの間に行った一連の貸付権限の行使は、故意による権限の濫用つまり包括的な不法行為に該当するというべきである。

第七責任

国家賠償法一条一項所定の「公権力の行使」とは、国又は公共団体の作用のうち純粋な私経済作用と同法二条によって救済される営造物の設置又は管理作用を除く総ての作用を意味し、国有林野の管理もこれに含まれるものと解するのが相当である。

国の行政財産である国有林野については、国有財産法と共に国有林野法が適用され、後者によればその使用収益、貸付等について規制があるほか(国有林野法七条、八条)、国有林野の借受人又は使用者に対し、その借受地、使用地の区域内の国の所有立木等の地上物件に被害が発生し、又は発生するおそれがある場合には届出義務を課し(同法施行規則一七条)、また利用状況の報告、資料の提出義務を課すなど(同規則一七条の二)国有林野の管理処分について特別な規制を設けている。

そして、国有林野の管理は、取得、維持、保存及び運用並びに処分の総てをいうものである(国有林野法一条)から、前記判示のとおり国有林野の貸付契約が私法契約の性質を有しても国有林野の管理行為の全体が純粋な私経済作用であるとすることはできない。

因みに被控訴人においても、山形営林署が控訴人に対しリフト看板の撤去及び工事中止を求めたことは、国有財産の管理行為として国家賠償法の対象となることを認めているのである。

従って、A1署長らの故意による一連の国有林野に関する貸付権限の濫用は国家賠償法一条一項に該当し、被控訴人国がその責に任じなければならないのは明らかである。

第八損害

一  積極損害

1  起点変更による損害

控訴人は、リフトの起点をa点からe点に変更することを余儀なくされたため、訂正の上引用した原判決第二の一4(一)(1)(五四枚目裏七行目から五六枚目表初行まで)の各工事をせざるをえなくなり、これに要した同記載の各費用が損害であるとして主張する。

しかしながら、前記第三の二のとおり被控訴人はA6検測線を基準としてリフト起点をd点からe点に変更するよう指導した以外は、リフト路線の変更に関与してはいない上、もともと控訴人の当初計画した路線(a′↓A′線)が仙人沢に跨がっていたために自らc↓C線に変更せざるをえなかったのである。そして、原審(第二、三回)及び当審(第二回)検証の結果並びに弁論の全趣旨によれば、起点をd点からe点に変更しても、距離の違いは多少あるものの、駐車場からリフト乗場までの間に沢があるため、連絡用の通路及び資材運搬車がエコーラインから入るための建設用道路を確保する必要があることは同じであり、また、少なくとも建設用道路についてはe点の方がエコーラインにより近くなるので変更の結果余分の費用が生じたことは認められない。

従って、右各費用は本件不法行為に因る損害であるとはいえない。

2  路線変更に伴う損害

(一) 控訴人はリフト路線をa↓A線からeE線に変更させられたことにより、一部仙人沢上を通過することとなって保安設備の設置を余儀なくされた工事費九四万三八五〇円が損害であると主張する。

しかし、前述のとおり控訴人側の当初計画したa′↓A′線そのものが仙人沢を跨がっていたと認められる上、右1のとおり被控訴人はリフトの起点をa点からe点に変更するよう求めたにすぎないので、右費用は本件不法行為に因る損害であるとはいえない。

(二) 控訴人は路線変更により、原判決第二の一4(一)(2)イの測量等費用及び同ウの地鎮祭費用が損害であると主張する。

しかし、右各費用が被控訴人の関与にかかる前記リフト起点の変更に因って生じたことを認めるに足る証拠はない。

3  新林班界の設定・「県境移動」・リフト路線変更による損害

控訴人は原判決第二の一4(一)(3)及び同(二)(7)の各損害を受けたと主張する。

原審控訴代表者尋問の結果により成立を認めうる甲第八一号証、同尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。なお、損害額の認定資料としては、専ら責任原因についてのみ攻防がなされた本件訴訟の経過からして明確なものに乏しい憾みがあるものの、その故に算定不能とすることは許されないので、当審口頭弁論終結時における物価と当時の水準等を勘案して算定した。

(一) 控訴人は昭和三八年六月二六日頃以降A6検測線を管轄区界及び本件県境とする取扱を受けたことに因って、東京の厚生省・林野庁、新潟陸運局、白石営林署に対する国有林野貸付、宮城県知事に対する索道事業執行認可等の各申請を始めとする手続及びこれに伴う交渉・準備等のため次のとおり県外出張を余儀なくされ、これに伴って相応の支出をした。

(二) 控訴人は右関係書類の作成費として八〇〇〇円を支出した。

(三) 控訴人は昭和三八年八月二一日から昭和三九年三月一六日までの間、宮城県庁、白石営林署、仙台法務局等に一四回出張した。その延人数は五二人、宿泊人数は延九人である。これに伴う損害額は、一人当り少くとも旅費日当として二〇〇〇円、宿泊費として二〇〇〇円を要したものと算定し、合計一二万二〇〇〇円とするのが相当である。次に控訴人は昭和三八年七月二日から同年一二月一五日までの間、新潟陸運局に一一回出張した。その延人数は二〇人、宿泊人数は延二〇人である。同様にこれに伴う出費を算定すると、一人当り旅費日当として四〇〇〇円、宿泊費として二〇〇〇円、合計一二万〇〇〇〇円を支出し、このうち(一)の事情がなくても、すなわち控訴人の目算どおりに事が進んだとしても負担しなければならなかった分はその二分の一である六万〇〇〇〇円であるというべきである。更に控訴人は昭和三八年七月九日から昭和三九年二月一五日までの間、厚生省・林野庁等に二〇回出張した。延人数は三八人、宿泊人数は延六二人である。同様にこれに伴う出費を算定すると、一人当り旅費日当として五〇〇〇円、宿泊費として二〇〇〇円、合計三一万四〇〇〇円を支出し、このうち右のとおり当然に負担すべきであった分はその二分の一である一五万七〇〇〇円であるというべきである。

してみれば、控訴人は右(一)記載の取扱を受けたことに因って余分に負担させられた手続関係の県外出張費の合計三三万九〇〇〇円は、本件不法行為に因って生じた損害というべきである。

しかしながら、その余の控訴人主張の自動車償却費、右に認めた以外の県外出張費については、前掲甲第八一号証、原審控訴代表者尋問の結果及び弁論の全趣旨によっても、その出費に至る具体的な経緯、関連性、必要性等は詳らかでないので、控訴人のリフト建設に通常伴う費用以外の余分な支出であると認めることはできない。そして、他にこれを認めうる証拠はないから、本件不法行為に因って生じた損害と認められない。

4  工事遅延による損害

(一) 除雪人夫賃及び仮索道費

控訴人は、昭和三八年中の積雪前に工事が完成していた筈であるのに妨害により工事が遅延し昭和三九年六月に完成したため、本来不要であつた原判決第二の一4(二)の除雪人夫賃及び仮索道費の各損害を受けたと主張する。

しかしながら、控訴人の主張はリフト工事を昭和三八年四月ないし七月には開始できたことを前提としているが、前記のとおり貸付契約の法的性質が私法契約であることからみてもその締結時期を確定することは困難であるばかりでなく、前掲甲第一〇二号証及び弁論の全趣旨によれば、各種許可手続を得るまでの期間も数ケ月の幅をもって見込まざるをえないことが認められるから、前提を欠くと言わざるをえない。

なお、控訴人リフトの工事が積雪期に跨がるかどうかは、要は工事開始の時期、その期間にかかることである。前記第三の三判示のとおり控訴人は昭和三八年八月頃工事を開始しているが、その時点においては未だ貸付を受けたり許可を得たりしていないから、そもそもリフト工事をすることはできなかったのである。控訴人がリフト工事を容認された同年九月二〇日の時点で、積雪期に跨がる工事を開始するかどうかを判断し、消極の選択をすれば、右損害の発生を避けることができたということができる。逆に、できるだけ早く工事を完成させるために、自らの経営上の判断に基づき積雪期の経費を見込んだ上でなお工事の実施を選択することも考えられるが、この場合には控訴人主張の右損害は本件不法行為に因り生じたものといえないことが明らかである。

してみれば、控訴人の前記主張は採用できない。

(二) その他の工事遅延に伴う費用

控訴人は原判決第二の一4(二)(3)ないし(6)、同(8)及び同(9)の費用を損害であると主張している。

しかしながら、右主張の工事関係者の飲食費、有料道路料金、ガソリン代、電話代、借入金利子及びハイヤー代は、いずれも原審控訴代表者尋問の結果により成立を認めうる甲第七五ないし第七七号証、第七九、第八〇号証、同尋問の結果及び弁論の全趣旨によっても、それぞれの出費をした具体的な経緯、理由、必要性は詳らかでないので、控訴人のリフト建設に通常伴う費用以外の余分な支出であると認めることはできない。そして、他にこれを認めうる証拠はないから、本件不法行為に因って生じた損害と認められない。

5  直接の妨害行為による損害

控訴人は原判決第二の一4(三)の費用を損害であると主張している。

しかし、右ブルドーザー停止費、ブルドーザー停車料につき、工事中止を命じられたことにより生じたと主張するが、前記第三の三判示のとおり、控訴人が未だ工事をする権限もない段階で工事を強行したために中止を命じられたにすぎず、もともと違法な工事であるので、かかる工事が容認される立場を前提として法的保護を求めることは許されない。従って、その余について検討するまでもなく、控訴人の右主張は理由がない。

二  消極損害

控訴人はリフト営業による得べかりし収入につき、リフト建設の手続に通常要する期間は三ケ月であり、工事に要する期間は二ケ月弱であることを前提として、いつ工事開始できたかにより前記事実の第二の二5(一)のとおり三通りの逸失利益を算定している。

しかしながら、既に触れたとおり、前記貸付契約の締結時期を確定することは困難である上、各種許可を得るまでの期間も数ケ月の幅をもって見込まざるをえないのであるから、この算定は極めて困難である。

そこで、A1署長らの一連の行為目的が山交リフトの建設を支援し協力するため、貸付権限を濫用して公正な審査をしないまま控訴人のリフト建設を阻止ないし遷延させることにあった点に着目して、控訴人リフトの完成時期についての右の如き検討は暫く措き、このような支援協力により境界問題に妨げられたりすることなく順調に事を運んだ山交リフトと対比しての、控訴人が受けた差別的取扱による損害を本件の逸失利益として算定するのが具体的な解決として妥当であると考える。すなわち、山交リフトの建設場所が一部山形県内にかかることとなる関係で、山交が山形営林署・山形県・新潟陸運局にも申請しなければならないとすると、その分だけ遅れることになるのは明らかであり、逆に控訴人の側では、貸付申請の受理を故なく拒まれたり、境界問題を持出されたりしなければ、控訴人も山交と大差のない時期に本件の貸付や許可を受けてリフトの建設を完了し開業することができた筈であると想定し、その場合に挙げ得たであろうところの利益を考えるのである。なお、極く近接した場所に二本のリフト建設を許すのが妥当か否か、また一本か二本かを問わず、そもそも控訴人に借受適格があったと言いうるか等の点は、現実に二本のリフトが認められ、控訴人との間に貸付契約が締結された(但し、実質的な審査がなされた上でのことであるとは証拠上認め難く、有力者からの働き掛けや控訴人の強談判によるところが多い。)からというのではなしに、A1署長らが控訴人に対してこれらの事由を表明して右一連の行為をしたのではないので、本件ではこれを問題とする余地はなく、双方の並行建設・近接時期における開業を前提として検討するほかない。

しかるところ、実際の開業は山交が昭和三八年八月一日、控訴人が翌年六月六日であったから、毎年五月初めから一〇月末までの夏山シーズン用の本件リフトについて控訴人は第一年度で約三ケ月、第二年度で約一ケ月の後れとなったわけであり、この合計約四ケ月の後れは、丁度この時期がエコーラインの開通直後であったことによる物珍しさから観光客が急増・集中し、リフトの利用者も多数に上ったときであったため、単なる四ケ月の後れというだけに止まらない意味を有しており、控訴人は創業者・先駆者としての利益を山交と分け合う機会を逸したことになる。

また、リフトという施設の特性上、その営業経費は利用客の多寡によって殆ど変わることはないので、利用客が多くなればなるほど収益が上り、損益分岐点を超えた場合にはその時以降の売上分はほぼ全部が収益となり、相当額の営業利益をもたらすことになる。従って、この時期に挙げ得たであろう利益が控訴人の損害に当るというべきである。

原審証人A15の証言によれば、山交リフトの挙げた収益は昭和三八年八月一日から翌三九年七月末までの間で約二〇〇〇万円、同年八月から四〇年七月までの間で約一〇〇〇万円であったこと、第二年度に収益が減少した主な原因は控訴人リフトとの競合が生じたためであると認められる。また原審控訴代表者尋問の結果により成立を認めうる甲第三四三号証及び同尋問の結果によれば、昭和四〇年四月一日から同四一年三月三一日までの間、控訴人リフトからの粗収入は七二〇万二五二〇円であったことが認められる。そこで、初年度における二〇〇〇万円のうち控訴人リフト開業前の約四ケ月間に山交リフトが挙げた収益額を一六〇〇万円と概算し、一方原審(第二回)及び当審(第一、二回)検証の結果によっても明らかなとおり、控訴人リフトの起点は、前記aないしeのいずれであっても、a1駐車場からの距離が山交リフトに比してやや遠く立地上不利になっており、また弁論の全趣旨から、山交の方が控訴人よりもリフト経営に関する経験等の蓄積があり知名度も高く、且つバスと連携しての観光客の吸引力も上回ると言いうるので、これらの事情を勘案して、右一六〇〇万円の収益を山交三、控訴人二の割合で按分し、この結果得られた六四〇万円を以て控訴人の逸失利益とするのが相当である。

三  弁護士費用

記録によれば、控訴人は本件訴訟に関して原審以来数次に亘って訴訟代理人を選任し、それぞれに本件訴の提起や追行を委任したことが明らかであり、本件訴訟の経過、難易度等を考慮すれば、本件不法行為と因果関係がある損害として被控訴人に負担させるべき弁護士費用は、これを一二〇万円とするのが相当である。

第九結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は、七九四万七〇〇〇円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和三九年三月二六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、請求全部を棄却した原判決を右の内容に変更することとし、民訴法九六条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林啓二 裁判官 信濃孝一 裁判官 小島浩)

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